【中継】被告の運航会社社長は終始淡々 知床沖観光船事故初公判 証拠の通報音声、危機迫る声廷内に響く

依田アナウンサー) 「 裁判ですが、私の後ろにあります釧路地裁の2階の法廷でこの時間も続いています。今日は私も裁判を傍聴することができました。実に3年半ぶりに私も桂田被告の肉声を聞いたんですが、全体的な印象として極めて淡々としていて、飄々とした立ち振る舞いだなという印象です。 法廷の中には今日、乗客家族の方も10人ほどがいらっしゃいました。桂田被告の様子をじっと見つめる人、静かにうつむいたまま聞いている人、様々だったんですが、桂田被告がしゃべる前の起訴状の読み上げの時点で、ピンク色のハンカチを手に涙している方もいらっしゃいました。 桂田被告がしゃべったのは裁判の冒頭のみでした。午前中、検察側からデータが示される証拠調べでは、目を閉じている時間が長かったなという印象がありますが、お昼の休憩を挟み午後になって、事故当日の現場海域の波の高さや、船内から見つかった乗客のタブレットの位置情報から割り出した船の位置、船のスピードのデータが示されますと、桂田被告は目の前のモニター、そして手元の資料にかなり注意深く目をやっていました。桂田被告にとって一つ重要なデータなのかなと私は感じました」。 森唯菜アナウンサー) 「今回の裁判で新たな証拠などは示されたんでしょうか? 依田アナウンサー) 「はい、今日新しい証拠として音声データが示されました。これは沈没した「KAZU I」や「KAZU I」から連絡を受けた他の観光船事業者から海上保安庁への通報の音声記録が廷内で流れました。 「KAZU I」の豊田船長からの通報はかなり緊迫感があるものでした。船が沈みゆく中での豊田船長の危機迫る声が廷内に響き渡りました。かなり音質はクリアなものでした。その音声を聞いた乗客家族の方の中には、すすり泣く声も聞こえました」。 森唯菜アナウンサー) 「そうだったんですね。今回、傍聴倍率が6倍ということで、傍聴券を取れなかった方も多かったようですね」。 依田アナウンサー) 「やはり、かなりの注目の高さだったんですが、傍聴に来た方の中には、前の斜里町長で発災当時も現場で陣頭指揮をとった馬場前町長の姿もありました。馬場前町長は傍聴券を取ることはできず外れてしまったんですが、私にこんな話してくださいました。 「事故から3年半、ようやく始まったがまだまだ先は長いと思う。とにかく桂田被告には自分の言葉で喋って自ら罪を認めてほしい。誠意、誠実、これに尽きる。いい加減、態度で示してほしい」と馬場前町長は話していました。 傍聴券は外れてしまったので、すぐに家に帰ると話していたんですが、結局昼過ぎまで馬場前町長はここの裁判所の前にいました。裁判はこの後、今日の分は午後5時まで行われる予定です」。 森唯菜アナウンサー) 「では、今日の裁判までのこれまでの流れを見ていきます。まず知床沖観光船沈没事故が起きたのは2022年の4月23日です。 去年7月、乗客家族らが桂田被告と運航会社に対し、およそ15億円の損害賠償を求め、札幌地裁に提訴。 去年9月、海上保安庁が桂田被告を逮捕。 去年10月に釧路地検が桂田被告を起訴しました。そして12日、事故からおよそ3年半、釧路地裁で刑事裁判の初公判を迎えました。 桂田被告が問われている罪ですが、罪名は業務上過失致死です。有罪となれば5年以下の懲役か禁錮、または100万円以下の罰金です。起訴状によりますと、桂田被告は事故当時、強風波浪注意報が発表されていて、会社の運航基準を超える強風や高波が予想され、事故が発生する恐れがあったにもかかわらず、遊覧船の運航管理者などでありながら、出航や航行を中止させる指示を怠り、乗客乗員を死亡させた罪に問われています。 裁判の争点は、桂田被告が事前に事故を予見できたかどうかです。検察側は「予見できた」としています。当時、強風波浪注意報が発表されていたこと、会社の運航基準を超える強風や高波が予想されていたこと、同業他社が船長に対し、悪天候のため昼までに帰港するよう忠告していたこと。以上のことから、桂田被告は事故を予見できたにもかかわらず、出航や航行の中止の指示を怠ったと主張しています。 一方、弁護側は「予見できず」としています。桂田被告は事故当日の朝に船長との協議で、船長から「荒れる前に引き返す」と言われたこと、午前中に帰港すれば運航基準を超えるものではなかったと主張しました。さらに事故の原因について、遊覧船のハッチが完全に閉まらない故障によるものだったとして、桂田被告はこの故障を予見できる可能性はなく、つまり事故の発生も予見できなかった。以上のことから無罪を主張しました」。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加