世田谷一家殺害25年 あせない4人の思い出、悲しみと生きる 「沈黙」経て伝え続ける姉

平成12年に東京都世田谷区の住宅で、会社員の宮沢みきおさん=当時(44)=一家4人が殺害された事件で、妻の泰子さん=当時(41)=の姉、入江杏さん(68)は、事件発生から6年の「沈黙」の後、あせない4人の思い出と、悲しみを伝え続けている。 棟つづきの隣家に住んでいた、妹家族。親として成熟したやっちゃん(泰子さん)。何事にも寛容だったみきおさん。「しっかり者」のめい、にいなちゃん=同(8)。「ゆっくりさん」のおい、礼くん=同(6)。四半世紀を経ても、4人がいた光景は変わらずに目に浮かぶ。「生きてたらどんな家族だったかな」。 さよならも言えない、突然の別れだった。「なぜ4人だったのか」「なぜ殺されなければならなかったのか」「なぜ助けてやれなかったのか」。幸せだった一家が事件に巻き込まれたことへの疑念と、自責の念にさいなまれ、現場のある世田谷区内に立ち入ることは今でも避けている。 事件後6年間は家族の意向もあり、周囲に遺族とは明かさずに過ごした。「前を向いて生きていかないといけない」。そんな葛藤もあった。 ■1枚の絵が転機に 転機となったのは、にいなちゃんが残した1枚の絵だった。絵の題材である物語には登場しない女の子のほほ笑む様子が描かれていた。その姿が事件前日のにいなちゃんと重なり、「生き生きとした4人の姿を伝えたい」と思うようになった。 18年、遺族であることを明かし、にいなちゃんと礼くんが大事にしていたぬいぐるみの名前から、「ミシュカの森」と題した集会を初めて開いた。自身が手がけた絵本を朗読して4人を悼み、参加者がそれぞれの悲しみや苦しみに向き合い考えられる場所を目指した。他者の喪失体験に耳を傾ける中で、「人は悲しみを生きる力に変えられる」と考えるようになった。 今年、一筋の希望も見えた。26年前に名古屋市の住宅で女性が殺害された事件で10月、容疑者が逮捕された。期待とともに「犯人が分かっても、それでおしまいではない。苦しさは続く」と複雑な思いも交錯した。それでも、「事件に向き合いたい」と解決の一報を待ち続けている。(梶原龍)

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