内乱判決のその後、私たちの中の極右は?【コラム】

「こ~おそ、ききゃく~(公訴棄却) !ユ~ン、アゲイン!」 尹錫悦(ユン・ソクヨル)前大統領の内乱首謀容疑の裁判が行われた13日夕刻、ソウル中央地裁前。氷点下の厳しい寒さの中、太極旗を手にした60~70人あまりの群れが裁判所に向かって叫んでいた。私は、検察の求刑の際の、裁判所前の風景のスケッチを指示されていた。「はぁ、またここに来るはめになるなんて」。感傷に浸っている暇はない。彼らの間に割って入って素早くスキャンし、服装、行動、プラカードの文言、スローガンなどを携帯電話のメモ帳に記していった。あまり没頭しすぎてはならない。正体がばれる恐れがある。このような時に備えて準備しておいた携帯電話のプライバシー保護フィルムが役に立つ瞬間だ。それでも疑いの視線を感じたら、スローガンのタイミングに合わせて拳を握りしめ、力強く振り上げる。ただしスローガンを叫ぶことはできなかった。 2024年12月から昨年3月まで、多くの弾劾集会を経験し、身分偽装スキルを身につけた。私が様子をうかがうのは、取材中に攻撃される恐れがあるという無意識の恐怖によるものだろう。特定の集団に対する罵詈雑言が乱れ飛び、他人を憎む「ヘイト」のエネルギーが充満している極右の集会に行くと、今も体が縮こまる。 たまに面白い(?)光景にも出会える。昨年1月、ソウル漢南洞(ハンナムドン)の官邸前で尹前大統領の逮捕状棄却が伝えられた時、あるお年寄りがにっこり笑って、「弾劾せよ」のプラカードを手にした女性に「棄却されたそうです~棄却されたそうです~中国人は悔しいでしょう」と言っているのを見た。それも舌を出して(お年寄りのあっかんべーを見るのは初めてだった)。南泰嶺(ナムテリョン)集会では、警察がバスで壁を作って弾劾「反対」側と「賛成」側の動線を分離していたのだが、バスの隙間から誰かが投げたアメが額に当たったことがある。犯人を探そうと見回したら、バスの隙間から「弾劾反対」派の中年男性が痛快そうに囲りの人々と一緒に「ガハハ」と笑っているのが見えた。明るく笑う彼らを考えると、「嫌悪というのは、ときに童心のかたちで発現するんだな」という考えが浮かんだ。 実際、この程度で済んだなら幸いだ。ソウル西部地裁暴動の際、孔徳(コンドク)駅付近は私の知る大韓民国ではなかった。裁判所のそばでは人を押しのけたり、胸ぐらをつかんだりといった物理的な衝突が頻繁に起きていた。数十人がパトカーを取り囲み、太極旗などで車をバンバンたたいていた。同僚の記者もあの夜、裁判所の前で携帯電話を奪われて初期化されたり胸ぐらをつかまれたりといった暴行を受けたと打ち明けた。嫌悪は時に「法治」を忘れさせるほどの強い感情だということをあの日、目撃した。 今や尹前大統領は「死刑」を求刑されており、判決は来月言い渡される。内乱にかかわった人物たちの裁判は続々と進められており、まもなくしかるべき法的責任を取らなければならなくなるだろう。だが、どこかすっきりしない。 近ごろSNSでは、特定の動物と政治家を合成したり、「イルベ」でよく使われるヘイト表現を歌にしたりした投稿がよく見られる。中国人観光客についての未確認情報が広がり、小中学生がインスタグラムのストーリーズで共有する動きが確認され、記事になってもいる。教室にも極右のミームが浸透して久しいと教師たちは証言する。背筋が寒くなった昨年初めの漢南洞官邸、憲法裁判所、西部地裁前の極右たちの光景。二度と再現されないとの確信が持てないのは、なぜだろうか。メディア社会学者のパク・クォニルさんのハンギョレの連載のタイトル通り、「私たちの中の極右」は今もどこかで大きくなり続けているのかもしれない。 チョン・ボンビ|イシューチーム記者 (お問い合わせ [email protected] )

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