2026年4月初旬、予測市場「Polymarket(ポリマーケット)」では、パリの1日の最高気温を対象とする「ラダー型」契約が活発に取引されていた。多くの予測市場と同様、この契約も勝者を決めるため、オラクルと呼ばれる単一の確定的なデータソースに依存していた。 ポリマーケットは結果判定の情報源として、シャルル・ド・ゴール空港のLFPG観測所のデータを掲載するWeather Underground(ウェザー・アンダーグラウンド)の履歴ページを指定していた。このデータは、メテオ・フランスが運用する空港観測所の測定値に基づいていた。 周辺の気温は18度前後と涼しく、突然21度や22度を超える可能性はほぼゼロだった。4月6日には、開設されたばかりの「Hoaqin」とされるアカウントなどが、的中確率が極めて低いとみられていた契約を買い集めた。4月15日の取引では、別の「xX25Xx」というアカウントが注目を集めた。 4月6日午後6時30分から同42分までのわずか12分間に、シャルル・ド・ゴール空港の温度計は、通常では考えられない4度の急上昇を記録した。観測値は約12分間で4度前後上昇し、その後すぐに通常の水準へ戻った。ポリマーケットの市場は最終的に「21度」を正解として確定し、ある新規アカウントは30ドル未満の投資で1万3990ドルの利益を得たと報じられている。 その9日後の4月15日、同じパターンが繰り返された。トレーダーはわずか119ドルを投じ、その日の最高気温が18度にはならないとの契約を購入した。その後、センサーは再び急激かつ局所的な気温上昇を記録し、観測値は22度まで上昇。同アカウントは2万1398ドルの利益を得た。 フランスの気象関係者はすぐに、パリにあるほかのセンサーでは同様の数値が一切記録されていないことに気付いた。異常が発生していたのは、空港にある一つのセンサーだけだった。 ポリマーケットのDiscord(ディスコード)チャンネルや世界各国のメディアでは、何者かが無防備なセンサーに直接近づき、携帯用ドライヤーやライターなどで熱を加えたのではないかとの推測が広がった。 メテオ・フランスは、機器に残された物理的な痕跡とセンサーデータの分析を踏まえ、「自動データ処理システムの動作に対する妨害・改変」の疑いで、ロワシー航空輸送憲兵隊に告訴した。フランス警察はその後、改ざんの疑いについて捜査を開始した。 4月15日の取引で注目された「xX25Xx」は、気温の異常が問題視された後、プロフィールを削除した。取引はあらかじめ定められたオラクルの条件を満たしていたため、清算結果は最終的なものとみなされた。4月6日と15日の主要な取引だけでも、トレーダーが得た利益は合計約3万5000ドルに上った。ポリマーケットは契約を取り消さず、支払済みの利益も回収していない。 ポリマーケットはその後、パリの気温市場の判定にシャルル・ド・ゴール空港のセンサーを用いるのをやめ、気象データの取得元をパリ・ル・ブルジェ観測所へ変更した。 パリ検察のサイバー犯罪部門は2026年5月4日に捜査を開始し、サイバー犯罪対策局(OFAC)に捜査を委ねた。8月時点で、逮捕者に関する公表は確認されていない。 フランスの賭博規制当局である国家賭博局(ANJ)は2026年7月、国内のインターネット接続事業者にポリマーケットへのアクセス遮断を命じた。主な法的理由は無許可の賭博サービスを宣伝していたことで、ANJは市場操作リスクの具体例として、気象センサーが改ざんされた疑いのある今回の事件にも言及した。 米国土安全保障省(DHS)の元政策顧問であるワイン氏は、NADA NEWSの独占インタビューで、予測市場はこうした脆弱性に、より体系的に向き合わなければならないと指摘した。 ワイン氏は、セキュリティ対策の枠組みにバグ報奨金制度を導入することを提案している。独立した研究者の探究心を生かし、市場ルールや結果判定に使う情報源、現実世界の設備への依存といった弱点を、利益目的で悪用される前に発見する狙いだ。 Q1. まず自己紹介をお願いします。米国土安全保障省での経験は、予測市場の公正性や安全性に対する考え方にどのような影響を与えましたか。 ワイン氏: マシュー・ワインだ。以前はDHSの職員や連邦議会スタッフを務め、現在は独立系コンサルタントとして活動している。DHSや連邦議会では、テロ対策、情報活動、法執行機関の連携、サイバーセキュリティを中心に取り組んでいた。 政府で扱った問題のいくつかは、現在、スポーツベッティングや予測市場で生じている問題と共通する特徴を持っている。特に情報共有、あるいは情報共有の欠如という点だ。私は多くの時間を費やして海外の関係機関と連携し、新たなリスクが各国にどのような影響を及ぼしているのかを把握した上で、米国民をより適切に守るための対応を進めてきた。 現在の予測市場に対しても、同じようなアプローチを取っている。多くのことが変化しているが、現場の人々から新たに目にしている事象について話を聞き、過去の変化との共通点を見いだせば、安全性を向上させるための具体的な対策を講じることができる。 特にデジタルの世界では、昔から変わらない事実もある。私たちは、最初から製品や仕組みにセキュリティを組み込むことが非常に苦手だ。多くの場合、セキュリティ上の問題は後から発見され、最善とはいえない形で対策を後付けしなければならなくなる。 予測市場における操作リスクの特定と評価 Q2. あなたの記事では、予測市場へのバグ報奨金制度の導入を提案しています。スマートコントラクト上のルールが破られていない場合、予測市場における重大な脆弱性とは何を指すのでしょうか。 ワイン氏: 興味深い質問だ。予測市場の世界では、現在もルール作りが続いているからだ。悪意ある利用者や、単に限界を試したい人々は、正式なルールを破ることなく何が許されるのかを確かめるため、既存の商品を試し続けるだろう。 フランスで、ポリマーケットの賭けに勝つため、温度センサーにドライヤーを向けたとされる人物の事例を見れば分かる。 重大な脆弱性は、市場の仕組みを十分に理解していない利用者、曖昧に書かれた契約、報道機関と予測市場との契約を含む特定の外部依存関係、さらには利用者が市場やプラットフォーム、ほかの利用者をどのように悪用しようとするかについて、運営側が十分に想定できていないことなど、さまざまな部分に潜んでいる。 Q3. オラクルを管理するルールと予測市場を管理するルールを比較した場合、どちらの方が操作されやすいと考えますか。また、その理由は何でしょうか。 ワイン氏: オラクルが結果を判定する際に十分な数の情報源を参照しているという前提であれば、オラクル自体よりも、プラットフォームやその利用者の方が操作されやすいと考えている。 プラットフォームには、外部から介入できる箇所や変動要素がより多いため、プラットフォームの仕組みを悪用したり、利用者の判断を誘導したりする方法も見つけやすい。 また、オラクルよりもプラットフォームや市場を操作する動機の方が多い。金銭的な動機だけでなく、地政学上の目的や、特定の物語や世論を形成する目的も考えられる。結果が確定する前に市場価格を特定の方向へ動かすだけでも、悪意ある行為者の目的を達成できる場合がある。 もっとも、オラクルの悪用も依然として深刻な脅威だ。オラクルが悪用されれば、プラットフォームへの信頼が根本から損なわれることになる。 Q4. 操作リスクという点で、予測市場は従来のスポーツブックとどのように異なりますか。予測市場によって、まったく新しい種類の市場操作が生まれたのでしょうか。 ワイン氏: 主な違いは、オッズの決まり方にある。従来のスポーツブックでは、運営事業者自身がオッズを設定し、調整する。一方、予測市場では市場参加者の取引によってオッズが決まるため、操作の影響を受けやすくなる可能性がある。 これをまったく新しい種類の操作と呼ぶ必要はないと思う。ただし、その動機はより幅広い。利益を得る目的だけでなく、政治的な物語の形成や、情報収集を目的とする場合もある。 Q5. Lituus Foundation(リトゥース財団)のPhil Monastyrsky(フィル・モナスティルスキー)エグゼクティブ・ディレクターは、異議申し立てとフォークの経済設計によって、虚偽を申告することが経済的に割に合わなくなる仕組みを提唱しています。また、Predictive Labs(プレディクティブ・ラボ)のJohann Evrard(ヨハン・エヴラール)CEOは、価格差を金融商品化するMeta-Markets(メタマーケット)を提案しています。一方、あなたのアプローチは、脆弱性が悪用される前に発見した独立研究者へ報酬を支払うものです。これらのアプローチは、互いにどのような関係にあると考えますか。 ワイン氏: 競合する構想というより、互いを補完する複数の防御層だと考えている。 バグ報奨金制度の重要な点は、悪意ではなく好奇心から、技術の限界や抜け穴を試すことが好きな人々が存在することだ。プラットフォームは、その力を活用すべきだ。外部の人間は、開発者が見落とした操作や悪用の可能性に気付くことが多い。本質的には外部のレッドチームとして機能し、その調査結果によってエコシステム全体を強化できる。 予測市場を守る手段としてのバグ報奨金制度 Q6. これまでの経験を踏まえ、バグ報奨金制度によって操作リスクが実際に低下したり、市場の公正性が強化されたりした業界の事例はありますか。 ワイン氏: 正式なバグ報奨金制度を導入した予測市場のプラットフォームは、まだ把握していない。そのため、この分野の具体例を挙げることはできない。 一方、サイバーセキュリティの分野では、研究者が積極的にバグを探し、発見している。発見した情報をそのままインターネット上へ公開するのではなく、影響を受ける当事者と協力し、悪用される前に修正できるようにする。これによって、善意の研究者が適切に行動するためのインセンティブが生まれる。 Q7. 主要な予測市場プラットフォームがバグ報奨金制度を導入した場合、利用者は現実的にどのような安全性の向上を、どの程度の期間で期待できますか。 ワイン氏: 利用者が日々の利用の中で、その効果を目に見える形で実感することはないかもしれない。しかし、プラットフォームは、市場の悪用や操作をどれほど深刻に捉えているかを示す材料として、制度をアピールできる。すでに多くのプラットフォームが、市場の公正性を守るための多層的な取り組みについて説明している。バグ報奨金制度は、そこに加えられる信頼性の高い新たな防御層になる。 フランスで起きたドライヤーの事件は、現実の好例だ。研究者が、こうした現実世界の設備や運用手順に関する脆弱性を、安全かつ善意に基づく方法で指摘するよう促すべきだ。それによって利用者、市場、そしてプラットフォーム自体を守ることができる。 効果的なバグ報奨金制度の設計 Q8. プラットフォームは、適切な報奨金の金額をどのように算出すべきでしょうか。 ワイン氏: 報奨金の仕組みは、各プラットフォームが決めることになる。参加を促すのに十分な金額でなければならない。 まずは参加候補者を限定して声をかけ、報告された脆弱性に対して支払う金額を提示し、その金額が参加を引き出すのに十分かどうかを確かめる方法も考えられる。 Q9. システム全体に影響する重大なルール上の欠陥と、影響の小さい文言上の誤りを区別するには、どのような基準を設けるべきでしょうか。 ワイン氏: まず基準となる水準を定めた上で、影響を受ける市場の数や規模、悪用の容易さ、脆弱性が現実世界の抜け穴によるものか、市場ルールの記述上の不備によるものかといった指標に基づき、深刻度を段階分けできる。 Q10. 標準化された市場テンプレートが広く導入される前に、その脆弱性を発見した研究者へ報酬を与える制度は、どのように設計すべきでしょうか。 ワイン氏: プラットフォームはまず、あらかじめ審査を経た研究者のグループを設ける必要がある。社内の研究者でも、外部の研究者でも構わない。 参加者は、問題の発見方法や報告方法について明確なルールに同意する必要がある。グループを設置した後は、プラットフォームが定期的にレビュー用のテンプレートを提供し、報告を促すための一定の資金を確保する。また、プラットフォームがテンプレートや仕組みを効率的に修正できるよう、標準化された報告手順も必要になる。 Q11. 発見したルール上の欠陥を報告するより、それを利用して取引した方が大きな利益を得られる可能性があります。研究者が脆弱性を報告せず、悪用することをどう防ぎますか。 ワイン氏: 悪意ある行為者は必ず存在する。プラットフォームは、誰からでも報告を受け付ける方式にすべきではない。参加者を限定して審査済みのグループを設け、脆弱性を悪用せず報告することを義務付ける契約を結ぶべきだ。 この契約は、研究者を無期限に拘束することなく信頼関係を築けるよう、一定の初期期間に限定できる。制度の立ち上げ時に参加を促すインセンティブを用意することも、適切な人材を集めるために役立つ。 Q12. 研究者が金銭的な損害を発生させずに市場の結果判定を厳しく検証できるようにするには、プラットフォームはテストの対象範囲をどのように定めるべきでしょうか。 ワイン氏: 対象範囲はプラットフォームによって異なる。ただし、調査対象は特定の分野、主に契約文言と結果判定に用いる指標に限定し、プラットフォームの中核インフラに対するテストは、原則として対象外にすべきだと考えている。 第三者の所有物が関係する調査も制限すべきだ。フランスの温度センサーの事例でいえば、物を損壊する行為は明らかに制度の対象外であり、報奨金を請求する資格も失われる。 Q13. ルールを対象とするバグ報奨金制度によって、プラットフォームの財務リスクやガバナンスリスクが実際に低下していることを示すには、どのような指標を用いるべきでしょうか。 ワイン氏: 何かが起きていないことを測るのは、常に難しい。今回でいえば、市場操作が成功していないことを測定する必要があるからだ。 より明確な指標としては、市場が開始される前に修正されたテンプレート上の条項数、修正されたバグの数、そして現実世界で行われた具体的な変更が挙げられる。例えば、脆弱性の報告を受け、プラットフォームが利用するセンサーを定期的に切り替えたり、別のセンサーに変更したりすることだ。 一つひとつの修正に正確な金銭的価値を割り当てようとするよりも、実施された修正を記録する方が現実的だ。 規制と予測市場の未来 Q14. 国内に予測市場が存在しない国は、情報面で不利になる可能性がありますか。政府が予測市場の発展を促すことで、どのような利点を得られるでしょうか。 ワイン氏: すでに多くのプラットフォームが国境を越えて運営されているため、有用なデータを利用する上で、国内独自の予測市場を持つことが絶対に必要なわけではない。 複数の報道機関がすでに行っているように、政府も公開APIや市場データを分析に利用できる。情報機関や軍事機関も、同じ情報を活用できる。ただし、繰り返し指摘してきたように、これらの市場はさまざまな行為者による操作の影響を受けやすいという注意点がある。 Q15. 予測市場は、正当な経済活動としてどのような役割を果たしますか。また、分散型の清算は規制当局と共存できるのでしょうか。 ワイン氏: 分散型の清算メカニズムが規制当局に取って代わるとは考えていない。両者は異なる役割を担っている。すべての参加者にとって公正な市場を維持するため、今後も規制当局は必要になる。 Q16. 従業員の情報開示ルールの強化に加え、異常な取引を検知して個人利用者を守るために、プラットフォームはどのような技術や市場設計を導入すべきでしょうか。 ワイン氏: 公正な取引は不可欠だ。個人トレーダーを守るためだけでなく、市場そのものを守るためでもある。個人参加者が市場を不公正だと考えれば、資金を別の場所へ移してしまう。 関連する業界全体で、インサイダーリスクについて十分な教育を行うことが重要だ。特定の立場や属性にある人々が特定の市場で取引することを制限できる仕組みや、政府機関など機微性の高い分野における財務情報の開示義務も役立つだろう。 Q17. 今後10年間で、予測市場はより広い金融システムの中でどのような役割を果たすと考えますか。 ワイン氏: 今後10年間で、一部のプラットフォームは、Robinhood(ロビンフッド)が行ってきたように、一般投資家向けの金融・取引サービスへ、より深く組み込まれていくと予想している。また、ETFのように複数の市場をまとめた商品も増えるだろう。 米国で予測市場が広く認知される動きを最も加速させる可能性がある要因は、同時にこの分野を周縁化する可能性も持っている。それが、連邦最高裁判所による明確な判断だ。 現在のプラットフォームは、10年以上前のソーシャルメディア企業と似た戦略を取っている。過度に厳しい規制は、イノベーションや言論の自由、金融ツールの民主化を妨げると主張する一方で、政治的にも実務的にも排除が難しくなるほど社会に定着することを期待している。この戦略は、今回も成功する可能性がある。 総括 2026年4月にシャルル・ド・ゴール空港で起きた温度センサーの改ざんをめぐる問題は、予測市場の参加者に一つの疑問を投げかけた。市場に表示される価格は、本当に参加者による集合的な判断を反映しているのか。それとも、最も弱い部分を最初に見つけた者の知恵を反映しているだけなのか。 ワイン氏によれば、予測市場の操作を防ぐ解決策は、一つの巧妙な仕組みから生まれるものではない。透明性の高い異議申し立て手続き、バグ報奨金型制度による経済的なインセンティブ、市場の公正性に関するより明確な規制基準まで、複数の防御策を重ねる必要がある。 同氏は、こうした問題を後回しにするプラットフォームは、すでに悪用された後になって初めて脆弱性が発見されるという、ほかのデジタルシステムで見られた失敗を繰り返す恐れがあると指摘する。 今後、生き残って機関投資家からの信頼を獲得するのは、市場の公正性を一度限りのコンプライアンス確認事項ではなく、継続的に取り組むべき技術・ガバナンス上の課題として扱うプラットフォームだろう。 インタビュー実施日:2026年8月6日 ワイン氏元米国土安全保障省政策顧問Wein Strategy Lab(ワイン・ストラテジー・ラボ)創設者Secure Stakes(セキュア・ステークス)編集長兼発行人 イブラヒム・アジバデNADA NEWS ワイン氏について ワイン氏は、ワイン・ストラテジー・ラボの創設者であり、セキュア・ステークスの編集長兼発行人を務める。テクノロジー、国家安全保障、スポーツ、予測市場、ゲーミング業界の顧客に対し、戦略策定、研修、政策、経営に関する助言を提供している。 DHSの元職員で、米下院国土安全保障委員会の専門スタッフを務めた経験も持つ。また、Deloitte & Touche(デロイト・トウシュ)のサイバーリスク部門にも在籍していた。