中田ボタンさん死去、78歳 ジーンズ、長髪“元祖アイドル”から上方漫才重鎮に 19年に体調不良で休養 復帰の夢かなわず

上方漫才の重鎮「中田カウス・ボタン」の中田ボタン(なかた・ぼたん、本名藤長明)さんが14日に死去していたことが19日、分かった。78歳。香川県出身。葬儀・告別式は家族葬にて執り行った。ボタンさんは2019年3月19日に体調不良のため検査入院と休養を発表、療養していた。当時は「しっかり体調整えて舞台に戻って来ます」とコメントしていたが、復帰はかなわなかった。 上方漫才を支えてきた重鎮が逝った。 ボタンさんは23年2月20日付で吉本興業とのマネジメント契約を終了。事実上のコンビ解散となり、引退状態となっていた。24年11月には落語家の桂小文枝の公式YouTubeチャンネルで、ステージ4の肺がんであることを告白していた。 ボタンさんは相方の中田カウスが働く大阪・ミナミのバーの常連で、コンビ結成のきっかけはカウスがボタンさんに声をかけたことだった。カウスは芸人の修業を始めていたが当時のボタンさんは喫茶店のバーテンダーだった。 「やんちゃばっかりして、漫才なんて全く知らんかった」というボタンさんの魅力にカウスがほれ込み、漫才の世界に誘った。中田ダイマル・ラケット門下の芸人・中田アップの弟子となって68年に「中田カウス・ボタン」を結成した。 デビュー当時、スーツ姿が常識だった漫才の世界でトレーナーやTシャツにジーンズ、長髪という型破りなスタイルで舞台に立ち、一躍人気者となった。“元祖アイドル漫才師”の異名も取り、追っかけの女性ファンも現れるほどで、71年には第6回上方漫才大賞の新人賞を受賞している。 74年にカウスが10代の女子大生と結婚したことでアイドル人気は低下したが、それをきっかけにしゃべくり漫才の技術を高め、本格派の漫才コンビとなった。 芸人人生は順風満帆とはいかず、ボタンさんの代名詞となったのは金銭トラブルだった。スナック経営に失敗して1億円近い借金を抱え、“吉本一の借金王”を名乗ったことも。88年には暴力団の開いたとばくに加わった容疑で大阪府警に逮捕され、吉本興業から謹慎処分を受けた。 カウスがボタンさんの借金苦や女性問題をネタに笑いを取るスタイルは定番化。カウスはひょうひょうとした語り口で毒を吐き、借金ネタを振られたボタンさんの巧みなノリツッコミもウケた。スピード感のある応酬で一気に盛り上げる従来のスタイルとは異なり、落ち着いたテンポの“聴かせる漫才”は「しゃべくり漫才の完成形」とも称された。幾度のトラブルもコンビの固い絆で乗り越え、上方漫才大賞を歴代2位の3回受賞するなど、上方漫才の王者となった。 師匠としては海原やすよ・ともこらを育て、14年には上方漫才協会の副会長(会長はカウス)に就任するなど、業界にも貢献した。 17年の結成50周年会見でボタンさんは「健康である限り60周年、70周年を目指します」と宣言。同3月にボタンさんが休養を発表してからは、カウス1人で表舞台に立った。「嫁の呪縛が解けんので…」、「夜になったらノコノコ出て行っているらしい」と明るくボタンさんの闘病をカムフラージュし、2人で舞台に立つ日を待ち続けたが、思いは届かなかった。 ◆中田ボタン(なかた・ぼたん)1948年4月12日生まれ。香川県出身。68年に「中田カウス・ボタン」を結成。デニム姿での漫才で、女性人気が爆発。上方漫才大賞を歴代2位の3回受賞するなど、多くの賞を受賞した。一方で金銭トラブルが代名詞となり、スナック経営に失敗して1億円近い借金を抱え、“吉本一の借金王”を名乗ったことも。23年2月20日付で吉本興業とのマネジメント契約を終了した。

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