今からちょうど100年前の1926(大正15)年、昭和への代替わり直前の10月。鳥取県の小さな町で、66歳の退職郵便局長が拳銃3丁を乱射し、親族ら9人を殺傷する事件が起きた。積もり積もった根深い恨みに金が絡み、感情を爆発させての犯行だった。 何が彼を凶暴な大量殺傷に走らせたのか――。文中、当時の新聞記事などに現在では使われない「差別語」「不快用語」が登場する。記事などは見出しのみ原文のまま、本文は適宜、現代文に直して整理。敬称は省略する。(全4回の1回目) ◆◆◆ 鳥取県のほぼ中央、東伯郡八橋(やばせ)町(現琴浦町)は日本海に面した町。1899(明治32)年に町制が施行され、人口は事件から10年後の1936年でも3735人(『鳥取県統計書』)。長い間梨の生産が全国一だった鳥取県の中でも主産地の1つだが、ほかには城跡や海水浴場があるぐらいの小さな町だった。 事件発生は10月17日。その年に収穫された穀物を神に捧げる神嘗祭(かんなめさい)(当時の祝日)の夜だった。鳥取の地元紙・鳥取新報(日本海新聞の前身の1つ、以後、鳥取と表記、他紙についても同様)は18日に号外を発行。19日付社会面には号外用記事の再録と続報、その後の情報が“同居”している。号外用と続報を見る。