今年5月16日。強制送還処分の身で、羽田空港に降り立った男性は14年ぶりとなる母国の地を噛み締める様に歩いたという。男性は関東に拠点を置く主要暴力団の3次団体に所属する現役組員。ここでは仮にトミオ氏としよう。本サイトはトミオ氏がなぜ、14年間もの間、中国という異国の地で暮らすことになったのか直撃した。 「中国で逮捕されてしまいました。2010年7月17日のことです。それが原因で、中国南部の広東省にある刑務所で過ごすことになったのです」(現役組員のトミオ氏=以下同) 広東省の珠海(しゅかい)で40代、50代、60代の日本人3名が薬物犯罪に関わった疑いで、現地の警察に拘束された──この一件は当時、NHKや共同通信でも伝えている。 「珠海にあるビジネスホテルの一室でのことでしたね。3キロの覚せい剤を買おうと思って台湾ヤクザと取引していたんです。それまで3年間、覚せい剤の取引を台湾ヤクザと続けており、失敗しない自信もあった。その日もいつも通りに金の引き渡しは済んだけど、まさに、ブツを受け取るというタイミングで、警察官が8人部屋に踏み込んできた。南部の地域なので警察官はビーチサンダルに半ズボンとラフな姿でしたが、こちらは為す術もなくお縄ですよ」 中国の刑法では薬物犯罪は重罪で、覚せい剤50グラム以上の密売、密輸ともなると死刑の可能性があるそうだ。逮捕時にトミオ氏の手元にあった覚せい剤の量は3キロ。死刑は避けられない状況だ。いかにしてトミオ氏は死を免れたのか。 「当時の主な仕事は覚せい剤の密輸。日本と中国を1か月ごとに行ったり来たりしていたので、現地にオンナもいました。彼女が、私選弁護人の選定をトントン拍子で進めてくれた。しかも、この弁護士が裁判長と親戚関係。組の親分も下手を打った自分のためにと、60万元(およそ1200万円)を送金してくれた。それを裁判長と弁護士、検察官へそれぞれ20万元ずつ賄賂として渡した。すると、死刑だったはずの判決が懲役15年にまで減刑されました」