フリーアナウンサーでタレントの、みのもんた(本名・御法川法男)さんが亡くなった。享年80。 「報道によれば、1月16日、都内の焼き肉店で牛タンをのどに詰まらせて緊急搬送され、病院で治療を受けましたが、3月1日未明、家族に見守られながら息を引き取ったということです。5年ほど前にパーキンソン病の診断を受け、最近はテレビなどの仕事を控えていたようですが、かつては『1週間で最も多く生番組に出演する司会者』として、ギネス世界記録に認定されたこともある売れっ子でした」(芸能担当記者) 朝の情報番組『みのもんたの朝ズバッ!』(TBS系)や『午後は○○おもいッきりテレビ』(日本テレビ系)など、1990年代から2000年代にかけて、多くの番組で司会を務めたみのさん。銀座の高級クラブを何軒も飲み歩き、一晩で1000万円使ったと報じられるなど、「銀座の帝王」としても知られた。 そんな豪快な一面とはほど遠い、繊細な一面も本誌は何度も見ている。 2012年5月、最愛の妻・靖子さんが逝去した際は、気持ちの整理がなかなかつかなかったというみのさん。遺骨を長らく自宅のキッチンに置き、七回忌でようやく納骨できたという。 2人をよく知るテレビ局関係者が、“夫婦愛” について語る。 「靖子さんはもともとスタイリストとして、長年みのさんを支えてきました。オンエアが終わると、そのまま夫婦そろって旅行や長期休暇を取ることもありました。2人の関係は強固なもので、1991年、みのさんの “不倫騒動” があった際、『未婚の女性にご迷惑をおかけしたことは、申し訳ないことなのよ』と、靖子さんからきついお叱りを受けたそうです」 本誌は、当時みのさんが自身の不倫騒動を報じる新聞各紙を読む隣りで、何事もなかったかのように電車に揺られる靖子夫人の姿を掲載している。不倫騒動の渦中でも、夫婦は固い絆で結ばれていた。 みのさんの “家族愛” は妻だけではない。2014年、窃盗未遂の容疑で逮捕された次男・御法川雄斗氏に対しても、広い心で接していた。本誌は、息子の逮捕の責任を取る形で『朝ズバッ!』を降板したみのさんに直撃すると、笑顔で息子の近況を明かしてくれた。 「正月、家に挨拶に来ましたよ。顔は、いいふうに言うと引き締まった感じになってた。悪く言うと、痩せ細ってたね。男はやっぱり顔。顔を自分で作っていかないと。男は、黙って稼がないとダメだよ」 そして、当時みのさんが社長を務めていた水道メーター会社『ニッコク』に次男を入社させるのか尋ねると――。 「本人がやりたければ。頭を下げて『やらせてください』というのなら、やらせます。僕が32歳で文化放送をやめたとき、仕事は本当にゼロだった。でも、月6万円のローンはあるし、嫁もいた。食えない。父に相談したら『17~18万円ほどしか払えないよ』って言われた。当時は、名古屋に本社があった。始発と終電の新幹線に乗って、仕事場に行きました。事故が多くてみんながやりたがらない国道の工事を、志願して担当しました。給料が欲しくてね。とにかく必死でした。 次男も、いま仕事がない。本気でやりたいと思うなら、水道メーターの仕事をやらせますよ。よく『みのさんは息子に冷たい』と言われるけど、僕は温かい気持ちで、彼がどうするか見てます。それが、本人のためになると思うから。やる気になって、初めて深夜に水道メーターの取り換え工事ができるんです」 酒席での豪快伝説で知られるみのさんは、なによりも家族を大切にしていた。合掌。