2024年3月6日に逝去された五百旗頭真先生は、政治外交史を専門とする神戸大学教授として、さらに東日本大震災復興構想会議議長、防衛大学校長、熊本県立大学と兵庫県立大学の理事長、宮内庁参与などとして、学問の世界にとどまらず、社会的にも広く活躍された。 長年親交があった蒲島郁夫氏(前熊本県知事)、國分良成氏(前防衛大学校長、アジア調査会会長)、御厨貴氏(東京大学名誉教授)とともに、五百旗頭先生の仕事を振り返る。司会は岸俊光氏(アジア調査会事務局長)。 ●政府関係者との交流──実践家として ■岸 いろいろな政治家、特に総理クラスの方とのおつき合いがありましたね。1つ驚くのは、蒲島知事との関係もまさにそうですが、そのおつき合いが政治家と学者という関係を超えていることです。7月に行なわれた「五百旗頭真先生を送る会」も福田康夫元総理の尽力が大きく、ほとんど無私でやっておられた。これは友情としか言いようがない。 ■蒲島 私は、熊本県知事に就任して、川辺川ダム計画白紙撤回表明をしました。その際に、半世紀にわたりダム問題に翻弄されてきた五木村の振興予算を確保するために、福田首相の力を借りたいと思いました。 五百旗頭さんに電話で「福田さんが首相をお辞めになる前にぜひ会いたい」とお願いしたら、お辞めになる3日前だというのに福田首相は1時間半も時間を取ってくださった。 五百旗頭さんとともに伺って五木村のことを私が何度もお願いすると、そのたびに福田首相は「五木村を見放すことはしません」と言ってくださいました。五百旗頭さんのたっての願いということで、あれだけの対応をしていただけたのだと思っています。 ■國分 90年代末、小渕政権のときの「21世紀日本の構想」懇談会で、五百旗頭先生は外交部門の第一分科会「世界に生きる日本」の座長でしたね。北岡伸一さん、田中明彦さん、添谷芳秀さん、中西寛さん、千野境子さん等をはじめ私も参加しました。 そのとき「隣交」という言葉をメンバーの一人の船橋洋一さんが作ったと記憶していますが、最後に文章を全部書いたのは五百旗頭分科会座長なんですよね。巻き込むような、感情を少し出したような五百旗頭節で書かれました。 2000年代に入って小泉政権で靖国問題が非常に大変だったときには、福田官房長官から「小泉さんと話をしてくれ」と言われて、官房長官と一緒に食事をしたりしたときも五百旗頭先生は中心にいましたね。 福田官房長官とは勉強会をほぼ毎月、4年半くらいにわたって続けました。総理になっても審議会とかいろいろなものを作って先生を中心にやっていましたから、福田さんは五百旗頭先生を本当に信頼していたのではないでしょうか。 また、安倍晋三政権のとき、「戦後70年談話」をどう作るか意見を聞きたいということで、五百旗頭先生とか北岡さん、田中さん、白石隆さんや私などが何回か呼ばれて、安倍首相とずいぶん具体的で突っ込んだ話をしました。 五百旗頭先生と安倍首相が合うとは思えなかったのですが、案に相違して安倍さんは、歴史問題についても戦争責任の問題についてもよく話を聞くし、柔軟なんですね。五百旗頭先生は「靖国は分祀したほうがいい」と率直に意見を言い、安倍さんも「私も本当はそのほうがいいと思います」と答えていました。北岡さんも「五百旗頭真先生を送る会」の弔辞でこの部分に言及されていましたね。 ●負けず嫌い、平等な人柄──上皇陛下であろうと孫であろうと ■御厨 國分さんがさっき、五百旗頭さんはお子さんや弟子に対抗心を持っていると言われたでしょう。まさにそういう台詞を僕も聞いた覚えがあります。 彼はテニスをやるでしょう。近所のご婦人方を時々教えたりしていた。あるときテニスコートに行ったら、ちょうど孫のアレン君も来ていた。 ご婦人方は普段なら「五百旗頭先生」と自分のところに来るのに、このときばかりは「アレンちゃん、アレンちゃん」と言って自分のところに来ない。「これはいかん。次からは自分のところに来るように、もっとテニスを練習しようと思った」と言うんだ。相手は孫ですよ(笑)。 ■國分 テニスでは同じような経験があります。以前、軽井沢で、五百旗頭先生と私がダブルスを組み、天皇・皇后両陛下(現在の上皇・上皇后両陛下)のテニスのお相手をしたんです。五百旗頭先生は両陛下に対してドロップショットを打つんですよ。 ■一同 (笑) ■國分 そうしたら、たぶん軽井沢のそのテニスクラブの方だと思うんですけど、ラインズマンが五百旗頭先生に「もっと上品に」と言ったんです(笑)。それでもまたやるんです、何回も。 そうすると、陛下がダーッと走ってきて拾うわけですね。テニスにあまり心得がなく小心者の私はまずいんじゃないかと思うんだけど、五百旗頭先生は勝負にこだわるんです。私がダメなのもあってか勝負にこだわるのと、もう1つは、手を抜くことが相手に対して失礼になると思うんでしょうね。 ■御厨 そう、そう。そういうところがある。 ■蒲島 私もそう思いました。実は2006年、五百旗頭先生がちょうど防衛大学校長に就任された夏、東大法学部に私はまだ勤務していて、両陛下との皇居での夕食会があったので五百旗頭さんをお誘いしたんです。両陛下は初めて五百旗頭さんにお会いになって、とても気が合われたのね。すぐに深い信頼を寄せられたんです。 その後、私は何回もご一緒したけど、相手が陛下だからということで五百旗頭さんが特別な対応や気遣いをするのを見たことがない。ましてやテニスで手を抜くなんて、失礼になると当然思っただろうし、両陛下もそれは望まれなかったでしょう。 ■國分 陛下であろうと孫であろうと、常に真剣勝負で対等、区別なしということなんですね。だからこそ信頼も深まり、好かれもしたのでしょう。