「被告人になっているね。もう僕は被告人ですわ。再審の請求人ではなくて、もう次は被告人。裁判が始まるんやな…被告人という呼称で。シロかクロか、有罪か無罪か、それに対する緊張は相当程度はありますね」こう召喚状を手に話すのは、福井市に住む前川彰司さん(59) 39年前に起きた事件を境に人生が一変。殺人の疑いで逮捕され、7年間服役した。しかし、前川さんは逮捕直後から一貫して無罪を訴えてきた。 事件が起きたのは1986年3月19日。 福井市に住む当時中学3年生の女子生徒が、卒業式を終えたその日の夜に自宅で一人でいたところ、何者かに殺害された。犯行は、電気カーペットのコードで首を絞め、包丁で顔や首をめった刺しにする執拗でとても残虐なものだった。 当時の捜査では▼犯人は被害者と顔見知りの可能性がある▼犯行は計画的ではなく突発的なものと見られていた。この状況下で、別の事件で拘留中の暴力団組員Aが取調中に「後輩の前川が犯人だ」と発言。有力な情報もないまま、警察は、この暴力団組員Aの供述を信用し、捜査を進めることになった。 そして、事件から約1年後の1987年3月29日、当時21歳だった前川さんが殺人の疑いで逮捕され、7月に起訴された。 1990年9月― 前川さんに福井地方裁判所が下した判決は「無罪」。 福井地裁は「関係者の供述は変遷があり、その核心部分に確実な裏付けもなく信用できず、物的証拠もなく犯罪の証明がない」とした。 しかし検察側は、この判決を不服として控訴。ここから前川さんは、予想もしなかった長い戦いが始まった。 1995年2月、名古屋高裁金沢支部は、供述の変遷はあるものの「血の付いた前川さんを見た」などとする主な関係者の供述が大筋で一致しているとして、前川さんに懲役7年の逆転有罪判決を言い渡した。前川さんの弁護団は最高裁に上告したが、棄却されて刑が確定。約7年間服役することになったのだ。 2003年に刑期を終えた前川さんはその翌年、名古屋高裁金沢支部に裁判のやり直し=再審を請求した。(第1次再審請求) ◆1回目の再審開始 2011年11月、名古屋高裁金沢支部は「関係者の供述の信用性は脆弱」として再審開始を決定した。 しかし、検察側が裁判所の決定を不服とし異議を申し立てると― 2013年3月、名古屋高裁は「供述の変遷には合理的な理由があり信用性を失うとは言えない」などと検察側の主張を認め再審開始の決定を取り消した。 再審開始決定の取り消しを受け、前川さんは「本当に自信をもって名古屋(高裁)に臨んだつもりです。それがこの結果に至って言葉もない」と無念を口にした。 弁護団は最高裁に特別抗告したものの、再審開始は認められなかった。 その後、前川さんの弁護団は▼関係者の供述は合理性が欠けるとする供述心理鑑定書▼供述との矛盾を示す血液反応に関する鑑定結果、などが含まれる新たな証拠を集め、2022年10月、2回目となる再審請求を名古屋高裁金沢支部へ提出した。(第2次再審請求) さらに弁護団は「まだ開示されていない隠された証拠が山ほどあるはずだ」と主張。 これを受けて名古屋高裁金沢支部は、これまで証拠の開示を拒んできた検察側に対し、「開示命令に踏み切る用意がある」と証拠開示を強く促した。 すると検察側は、取り調べの供述調書や捜査報告書など新たに287点を開示。その中には▼事件発生時に前川さんと行動していたとされる関係者が当初、事件への関与を否定していた▼関係者が事件当日に見たと証言したテレビ番組のシーンが実際には放送されていなかった、といった内容が含まれていた。 関係者の供述は作り上げられた可能性があり、供述の信用性が疑われた。 そして迎えた2024年10月23日― 名古屋高裁金沢支部は「捜査機関が関係者に不当な働きかけを行い、うその供述が形成された疑いが払拭できず信用できない。新証拠は無罪を言い渡すべき明らかな証拠といえる」とまで言及し、再審開始の決定を下した。 検察はこの再審開始決定に対する異議申し立てを、断念した。 会見で「安堵しました。ありがとうございました」とほっとした表情で頭を下げた前川さん。「再審開始を目指していたやっていたわけではなく、無罪の確定を目指してやってきました。一審の時は無罪が出て浮かれてしまいましたけども、今度は確定までとどめを刺して終わりたいと思います」と決意を新たにしていた。 前川さんが殺人の疑いで逮捕されて38年。2025年3月6日に再審公判の日を迎えた。