謝罪の気持ち、忘れないで オウム事件遺族の願い 地下鉄サリン30年、活動に区切り

「償いは二つある。法律を破った刑事罰と、被害者に対する賠償だ」。 オウム真理教による目黒公証役場事務長拉致事件で亡くなった仮谷清志さん=当時(68)=の長男実さん(65)は、加害者に対し、謝罪の気持ちを持ち続けてほしいと望んできた。 清志さんは1995年2月、清志さんの妹の居場所を聞きだそうとした教団幹部らに、東京都内の路上で拉致された。教団元代表の松本智津夫(麻原彰晃)元死刑囚=執行時(63)=が、信者だった清志さんの妹から多額のお布施を得ようとし、拉致を指示していた。 刑事裁判で清志さんは大量の麻酔薬を投与され死亡したと認定され、元幹部らは「逮捕監禁致死罪」で有罪判決を受けた。しかし、実さんは「殺人罪」が適用されなかったことに納得がいかず、元幹部らを相手に民事訴訟を起こし、父の最期を追及した。 2001年、元幹部7人に計約5900万円の賠償を命じる判決が言い渡されたが、支払われないまま10年後に請求権が消滅。20年間の支払いで和解した元信者2人の振り込みも途中で止まった。「刑事裁判では『一生償います』と言う。だったら20年やってみろと思ったが…」と振り返る。 一方、11年の大みそかに出頭した元幹部とは当初、出所後10年間、支払うことで示談。しかし、服役が長引いたことから、出所後に2年間、毎月1万円の支払いに変更した。清志さんの月命日に振り込まれ、「これを求めていた。お金ではなく、謝罪の気持ちを持ち続けてほしいという意味だった」と語る。 父を亡くした後、実さんは「全国犯罪被害者の会」(現・新あすの会)に参加し、犯罪被害者の権利拡大に向けた活動に尽力してきた。刑事裁判への被害者参加制度や、給付金の引き上げなどを実現してきたが、残る課題も多い。 その一つが、加害者への損害賠償債権を国が買い取り、回収する制度の新設だ。「出所したら償いは終わり、と考える受刑者は多い。働いて被害者に弁償することが、再犯防止にもつながるのでは」と考えている。 拉致事件の前日、清志さんから告げられた「私には家族を守る責任がある」との言葉が心に残っている。30年がたち、あのときの父の年齢に近づき、その意味がだんだん分かってきた。これまで取り組んできた被害者支援活動には、近く区切りを付けるという。

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