「私は桐島聡と何度も飲んでいたんです」「49年間も逃げ続けたことは尊敬の対象」元日本赤軍メンバーで国際指名手配された85歳映画監督の告白…映画で「桐島役」に古舘寛治を起用した理由

桐島聡――1970年代、連続企業爆破事件の犯人として指名手配され、交番に貼られたポスターで日本中に知られる存在となった東アジア反日武装戦線「さそり」のメンバー。2024年1月、彼が半世紀近くにわたる逃亡生活の末、死の直前に自らの正体を明かしたというニュースは、国民に衝撃を与えた。その想像を絶する逃走の日々と、激しい葛藤を映像化したのが、映画『逃走』である。 監督・脚本を手がけたのは、御年85歳の異才・足立正生。自身も日本赤軍メンバーとして国際指名手配された経験を持つ足立監督は、桐島の数奇な人生にどう迫ったか?実は「知らずに近いところにいた」監督自身の驚きの体験も含め、大いに語ってもらった。(取材・文 岡本敦史)

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