オウム真理教による史上最悪のテロ事件、「地下鉄サリン事件」からまもなく30年。3日連続で、オウム事件の教訓について考えていきます。「オウム解体のきっかけとなった」と言われる事件の舞台裏です。 ■「オウム解体のきっかけ」舞台裏 最前線の元幹部 初めて明かす 2月28日、警視庁の元捜査員らおよそ20人が都内の飲食店に集まりました。ちょうど30年前のこの日、目黒公証役場の事務長・仮谷清志さん(当時68)がオウム真理教によって拉致され、その後亡くなった事件の捜査にあたったメンバーです。 彼らは今も口を揃えて言います。「この事件の捜査がオウム解体のきっかけになった」と。 1995年3月20日。オウムの信者らが通勤で混雑する地下鉄で猛毒のサリンを撒いた「地下鉄サリン事件」。14人が死亡、6000人以上が重軽傷を負いました。実はこの時、オウムは追い詰められつつありました。その理由が“仮谷さん事件”の捜査でした。 最前線で指揮をとった警視庁の元幹部が初めて捜査の舞台裏を語りました。 元大崎署刑事課長 佐久間正法さん 「奥の2階建ての白い建物。あれが目黒公証役場の建物で、当時使っていたそのままの建物」 のちに、殺人など凶悪事件捜査のトップ・捜査一課長を務めた佐久間正法さん(74)。当時、捜査を担う大崎署の刑事課長でした。 ■史上最悪のテロ「地下鉄サリン」 強制捜査2日前に起きた理由 記者 「ちょうどこの辺りです。車から出てきた数人の男に無理矢理押し込められるような形で仮谷さんは拉致されました」 拉致現場は、JR目黒駅から東に200メートルほど離れたオフィス街。仮谷さんは仕事を終えて、公証役場から出てまもなく拉致されました。 佐久間さんのノートには… 元大崎署刑事課長 佐久間正法さん 「私自身がオウムの認識が薄かったので、カタカナで『オーム』、 真理教の真も『心』と書いている」 目撃証言などから、仮谷さんは自身の妹の行方を捜していたオウムの信者に連れ去られたとみられていました。