「私はひとりじゃない、と思えるから」再審弁護人が地獄の先に見た光

『Forbes JAPAN』2025年5月号の第二特集は、米『Forbes』注目企画である「50 OVER 50」の日本版。「時代をつくる『50歳以上の女性50人』」たちのこれまでの軌跡と哲学、そして次世代へのメッセージを聞いた。 冤罪被害者を救済するための再審制度をめぐる動きの中心にいる、弁護士の鴨志田祐美。ベレー帽がトレードマーク、再審法改正を訴える象徴的な人物である彼女の信条とは。 強盗殺人の罪などで死刑が確定した袴田巌が2024年、やり直しの裁判である「再審」で無罪となった。事件から58年。袴田は88歳になっていた。捜査機関による証拠の捏造を認めた裁判所の判決は、大きな注目を集めた。 こうした冤罪被害者を救済するための再審制度を取り巻く状況が近年、急速に動いている。うねりの中心にいるのが、弁護士の鴨志田祐美だ。会社員や主婦、予備校講師を経て、40歳で司法試験に合格。その後20年以上にわたり、服役後も無実を訴える女性の弁護人のひとりとして、裁判のやり直しと無罪判決を勝ち取るために、「針の穴にラクダを通す」といわれる再審へのチャレンジを続ける。その傍ら、80年近く変わらない再審法の改正という大きな「山」を動かそうと、味方を増やし、機運を高めるために、日々全国を駆け回っている。 「弁護士にさえなれば人生薔薇色って思っていたのに。それがまさかね」。鴨志田が描いていた青写真は、スタートからまったく違うものになった。1979年に鹿児島県大崎町で男性が遺体で発見された、いわゆる「大崎事件」の弁護団長の事務所が修習先となり、事件で無実を訴える女性のことを知った。 女性の名は、原口アヤ子。義弟を殺害し、死体を遺棄した罪で懲役10年の判決が確定し、服役した。だが逮捕・起訴段階から、満期出所後も一貫して否認。事件の背景には、知的障がいのある夫や義理の兄弟たちによる罪の自白があった。鴨志田にも知的障がいをもつ弟がいる。客観的な証拠がないにもかかわらず、知的なハンデを抱えたいわゆる「供述弱者」たちが過酷な取り調べで虚偽の自白をさせられ、罪なき人たちが罰せられていた。 それに加え、「『一家を切り盛りするしっかり者の女性』を『生意気な女』とみなす捜査員や裁判官のジェンダーバイアスが、否認を貫くアヤ子さんを首謀者とする犯行ストーリーをつくり出し、その見立てに沿った自白の獲得と誤った司法判断につながっている。こんな不条理は許せない」。42歳の新米弁護士として鴨志田が弁護団に加わった瞬間だった。 ■「地獄」に落ちたあの日のこと 原口アヤ子とともに闘い抜くことを決めた鴨志田だが、大崎事件は最初に再審を請求してから30年、その扉は今も閉ざされたままだ。なかでも、19年3月、鴨志田が「地獄を見た」と語る出来事が起こる。再審開始を確定させてくれると期待した最高裁が、地裁・高裁が重ねた開始決定を取り消したのだ。弁護団の見立ては外れ、驚きと悔しさで体が震えた。さらに同じころ、鴨志田の母が大けがを負い、公私ともに彼女を支えた夫に末期がんが見つかった。集会や講演会で各地を駆け回りながら、合間に2人の入院先に通う日々。家族に寄り添えないことへの罪悪感に襲われ、うつ病を発症した。

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