2007年4月17日、長崎市長・伊藤一長氏(当時)が選挙期間中に銃撃され命を落としました。日本の民主主義を揺るがせた前代未聞の事件から、きょうで18年。なぜ市長は殺されたのか。犯人の動機は何だったのか。そして犯人のその後は――。 ■市長が銃撃された夜 『被告人は2007年4月17日午後7時52分頃、長崎市大黒町の「いとう一長選挙事務所」前歩道上において、公職の候補者である伊藤一長(当時61歳)に対し、殺意を持って、所携の回転弾倉式拳銃で、その背後の至近距離から弾丸を二発発射し、いずれも同人の背部に命中させ、不特定もしくは多数の者の用に供される場所において拳銃を発射するとともに、選挙の自由を妨害し、18日午前2時28分頃、長崎大学医学部・歯学部付属病院において、銃創による胸部大動脈破切および右心室破砕に基づく失血により死亡させて殺害した』(長崎地裁・判決要旨より、以下同) ■至近距離で二発 事件が起きたのは、4月の統一地方選挙の選挙期間中でした。現職の市長が銃殺されるという前代未聞の事件。現場は長崎駅前、すぐ近くには飲み屋が立ち並び、多くの車が目の前を行きかう路上でした。 4月17日、伊藤一長市長(当時)は遊説を終えて支援者と共に選挙事務所に戻って来たその時、近づいてきた男に至近距離から撃たれ、約6時間半後に搬送先の病院で亡くなりました。 ■逮捕されたのは暴力団幹部 その場で取り押さえられ逮捕されたのは、暴力団幹部の城尾哲彌。暴力団組織内での地位が下がり、金銭に窮し、長崎市に様々な要求をしたものの断られたことを逆恨みした犯行でした。 殺人や公職選挙法違反(選挙の自由妨害)などの罪に問われた裁判の判決では、次の事実が認定されています。 ■市政への逆恨み ■2002年1月以降、言いなりにさせて金を引き出すなど利用していた建設会社「A」が資金繰りに窮し、長崎市の融資制度を利用しようとしたものの信用保証協会の保証が得られず、融資が受けられなかったことに腹を立て、右翼団体の構成員と共に、長崎市に抗議を繰り返した。