「本宮ひろ志のマンガか」と突っ込みたくなる電力王の痛快人生

(文中敬称略) 前回(「まだ沈まずや、ニッポンは……」)、経済学者の宇沢弘文(1928~2014)が提唱した社会的共通資本という概念について書いていて、はっと気がついた。 ●日本の電力体制は「社会的共通資本」と通底する? 宇沢は村落共同体の入会地の研究を援用し、制度を整備すれば社会的共通資本のような価値の共有を現実のものとすることができると論じた。とすると、だ。ひょっとして、敗戦後の日本の電力供給――9つの電力会社(後に沖縄がアメリカ合衆国から返還されて沖縄電力が加わる)による地域独占という体制は、入会地のような社会的共通資本を成立する試みとして位置づけることができるのではないか。 完全な共有地は、生物学者ギャレット・ハーディン(1915~2003)が提唱した「コモンズ(共有地)の悲劇」があるので成立しない。しかし入会地は、利用者を村人に制限し、村人は村の慣習に従うという制限が入るので世界各地で実際に成立し、利用されてきた(前回の記事参照)。 9つの電力会社の地域独占とは、電力事業のメンバーを9つの会社に制限し(入会地の慣習である「利用者を村人に制限」に相当)、地域の電力供給に責任を持たせる(「村の慣習に従う」に相当)と考えることはできないだろうか。つまり9電力体制には、宇沢が社会的共通資本の概念を提唱する以前に、社会的共通資本的な考えが実践されていたのではなかろうか。 日本の電力業界の歴史は、経緯を追っていくと非常に面白い。私は東日本大震災の時の東京電力福島第1原子力発電所の事故を調べるうちに、電力業界の歴史に踏み込んだ。 そこには、戦前は東邦電力という会社の社長を務め、敗戦後は政財界、さらには連合国の占領軍をも巻き込んだ大立ち回りで9電力会社の地域独占体制をつくり上げた、松永安左エ門(1875~1971)という企業人がいた。「電力王」あるいは「電力の鬼」との異名を取った人だ。 松永安左エ門の95年にも及ぶ人生は、現代社会の規範では規定しきれない波乱に満ちている。電力業界を知るには、まずはそんな彼の人生をたどらなくてはいけない。 松永は、日本海に浮かぶ壱岐の裕福な商家に生まれた。一度は東京に出て慶応義塾に通うが、父が早世したために帰郷し、1893年に家督を継ぐ。1894年に日清戦争が始まると、日本海を輸送される物資の量が増え、松永は海運で大もうけした。 ●ヤクザの女房をNTR 父の死で故郷に戻らざるを得なくなったことが、よほど面白くなかったのかもしれない。カネが手に入ると彼は20歳そこそこにして盛大に女遊びを始める。松永は基本的に陽気な美男子で、女性受けの良い人だったそうだが、ついには投獄中のヤクザの、女房に手を出した。旦那が出所したと聞くや女房の手を取り日本刀を片手に家に籠城、ヤクザ相手の抗争を引き起こしている。本宮ひろ志のマンガの主人公か、というめちゃくちゃぶりだ。 故郷での放蕩(ほうとう)三昧・不埒(ふらち)三昧がどう影響したのか、家業を整理して再度東京にて慶応義塾に通う。しかし一度社会の荒波をくぐった彼は学業に飽き足らなくなっていた。在学中に知遇を得た福澤桃介(1868~1938、福澤諭吉の婿養子)の紹介で日本銀行に入社するが1年ほどで辞して、彼と共に丸三商店という会社を興し、その神戸支店長として仲買業務に就いた。 ここから30代半ばまでは、大きくもうけたりすってんてんになったり会社を興したり潰したりの波乱の人生を送る。丸三商店は、石炭や鉄道の枕木を扱って成功した、と思ったら、資金繰りに詰まって数カ月で閉店。 次いでまた福澤の資金を使って、今度は福松商店という会社を興す。地元業者の談合を破って石炭を販売する、というような掟破りの商売を展開して警察沙汰になるなど、またも本宮ひろ志系の「活躍」をするが、今度はなんとか商売を軌道に乗せることができた。

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