村上世彰氏、北尾吉孝氏、堀江貴文氏…フジテレビ再建をめぐる動きの中で20年前の“役者”が勢揃いしだした。 当時も総務省担当としてフジテレビの経営問題を取材したテレビ朝日経済部の国吉伸洋デスクに「過去」と「現在」について話を聞いた。 20年前のフジテレビの状況について国吉デスクは「2005年当時のフジサンケイグループは今と同じようにテレビ・新聞・ラジオ局・出版社といろいろあった。ラジオ局であるニッポン放送が中核企業として親会社みたいな形になって、その下にフジテレビやサンケイビル、ポニーキャニオン、さらにその下に産経新聞などがぶら下がる形だった。規模の小さいラジオ局が親会社になっていて、はるかに規模も時価総額も大きいテレビ局などが子会社になっているという“ねじれた”資本関係だった」と説明。 そして、この“ねじれた資本関係”に注目したのが村上ファンドを立ち上げた村上世彰氏だったという。 「ニッポン放送の経営権を握ればフジテレビを支配できるという構図になっていた。ニッポン放送は当時、東証の2部に上場していたが、時価総額はそれほど高くなかった。村上氏は当時、経済界の風雲児的な存在で、日本版の物言う株主の草分け的な存在だった。『お金儲けして何が悪いんですか』というような有名なコメントもある」 そして、当時の村上氏はこの“ねじれ”を解消しようとしたという。 「当時の村上氏はニッポン放送の株を10%以上取得して“ねじれ”を解消していこうとした。だが、フジテレビと連携しながら進めていたがなかなかうまくいかなかった。そこで、利益を出すことが至上命令であるファンドとして村上氏は“買い取り先”を探した。その時に声をかけたのがライブドアの堀江氏だったのだ。堀江氏はニッポン放送の株式を買い集めて筆頭株主となり、日枝会長率いるフジテレビ側と対立」 そこに突然現れたのがソフトバンクインベストメント(当時)の北尾氏だったという。 「北尾氏が現れて、ホワイトナイト(友好的な買収者)として、フジテレビ株を一時的に5年間ニッポン放送から借り受けてライブドアの買収を阻止した。これによってテレビなきニッポン放送の株にあまり興味がなかった堀江氏が諦めて、2005年の和解会見につながっていく」 当時の世論について国吉デスクは「まだインターネットが普及し始めた時期だった。堀江氏はITベンチャーの代表格とも言える人で、当時はまだ32歳。IT長者としてもてはやされていたが、『新興勢力であるITがフジテレビを乗っ取るのでは』と捉えられた。だから経済界も世論もおおむね堀江氏に対しては批判的だった。そして後に村上氏はライブドアから株の大量購入の話を聞いてその後ニッポン放送株を売却して利益を得たということで、インサイダー取引で逮捕された。堀江氏も粉飾決算などで逮捕されるということになった」と説明した。