【プレイバック’95】「2信組乱脈融資事件」高橋治則氏逮捕で山口敏夫元労相が見せた「逃亡劇」

10年前、20年前、30年前に『FRIDAY』は何を報じていたのか。当時話題になったトピックをいまふたたびふり返る【プレイバック・フライデー】。今回は30年前の1995年7月14日号掲載の『その日の〝親友〟を実況中継 高橋治則逮捕で山口敏夫元労相は「逃亡作戦」』を紹介する。 バブル崩壊で多額の不良債権を抱えて破綻した東京協和信用組合と安全信用組合。二つの信組における乱脈融資を巡り、東京協和の元理事長で不動産会社イ・アイ・イー・インターナショナル(以下、イ社)の代表取締役だった高橋治則氏(当時49)逮捕は秒読みとなっていた。 そして高橋氏の〝親友〟ともいわれ、不透明な融資にも深く関わったとみられていたのが、山口敏夫衆議院議員(当時・54歳)だった。「Xデー」当日、山口氏はどうしていたのか(《》内の記述は過去記事より引用。年齢・肩書はすべて当時のもの)。 ◆〝逃亡作戦〟はムナしく失敗… 《’95年6月27日午後1時10分、旧安全信組の鈴木紳介前理事長(47)が、同23分、旧東京協和信組の高橋治則前理事長が、小菅の東京拘置所の門を相次いでくぐった。 その直後の1時30分。千代田区三番町にある山口敏夫元労相の自宅マンションから、1台の乗用車が飛び出した。運転しているのは山口氏の秘書。が、5分もしないうちに戻ってきた。どうやら、秘書が囮になって報道陣を引きつけようとしたらしい。が、この逃亡作戦はムナしく失敗。数分後、山口氏が諦めたようにエレベーターで降りてきた。さすがにやつれガックリした表情だ。 「高橋、鈴木両氏が身柄を拘束され友人として断腸の思いであります」 山口氏は、用意したワープロのコメントを残し車に乗り込むと、顔をそむけて永田町方面に走り去った》 実はこの前日、フライデーは山口氏の車が、高橋前理事長のイ社を訪れるところを目撃していた。 しかし、フライデーの記者が待ち受けているのを知るや、車はUターンして姿を消してしまった。山口氏の実弟が社長を務める企業が2度目の不渡りを出すとファミリー企業のカネの流れが芋づる式に明るみに出てしまうため、金策に必死だったようだ。「親友どころか義兄弟」とまで公言していた高橋氏の逮捕に、かなりショックを受けたに違いない。 ◆「背任には当たらない」 東京地検特捜部に背任容疑で逮捕された高橋氏らの容疑は二つ。一つは大分県でゴルフ場開発をしていた3社に約238億円を貸し付けて安全信組に損害を与えたこと。この融資の大半は鈴木氏が経営していた不動産会社に転貸され、同社の負債の返済金として安全信組に還流したとされた。 二つめは安全信組から高橋氏のペーパー会社『明野エコトピア』に融資された35億円の一部が、高橋氏がオーストラリアの別荘購入などで出した損失補填に充てられたこと。だが、これらの容疑について高橋氏は「背任にはあたらない」と強気だった。 《(高橋氏は)親しい友人に、 「任意で何度か事情聴取を受けたが、取り調べの検事さんは皆、私に同情的だった。検察は、東京協和での逮捕が無理なのに、面子があるから、細かいものを集めてきた。明野の背任、35億円ならすぐ返済できるし、すぐ出てこられる。これで検察に恩を売れると思えば安いものだ」 と、うそぶいていたという。 また、「紳ちゃん(鈴木前理事長)はお金がないんだ。今年に入って、もう数千万円都合している。保釈金の3億~5億円も作ってあげなくては」と、他人を心配する余裕まで見せていたそうだ》 東京地検の次の標的とされたのが山口氏だった。 ◆〝政界の牛若丸〟と呼ばれた男も捜査の手はかわせず 同年12月6日、山口氏は背任、業務上横領、詐欺などの疑いで東京地検に逮捕された。1996年に保釈されるも、同年の衆院選には出馬せず、事実上政界を引退。’06年に懲役3年6ヵ月の実刑が確定し、服役した。 高橋氏は一貫して無罪を主張し、最高裁まで闘い続けたが、裁判中の’05年7月に急逝した。 山口氏は軽妙な話術で与野党の幹部の懐に入り込むのが上手い一方、ロッキード事件では自民党にいながら金権政治を激しく批判。河野洋平氏らと新自由クラブを旗揚げするなどして、有権者から人気があった。 だが、バブルが到来すると、ゴルフ場開発などに関わるようになり、親族ぐるみのファミリービジネスを展開。バブルが崩壊して事業が行きづまった際に資金源として頼ったのが、高橋氏の息がかかった2信組だった。 東京協和信組と安全信組の受け皿となる銀行として東京共同銀行(後の整理回収機構)が設立され、破綻の処理には公的資金が注入されることとなった。「2信組事件」は「国策捜査」のはしりだった。 不良債権の処理に公的資金を注入することを国民に支持してもらうため、政府は特捜検察に破綻した金融機関の経営責任を問う「国策捜査」を要請。この流れは住専問題、日債銀、長銀の粉飾事件へと続くこととなった。 バブルの後始末はまだ始まったばかりだった。

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