歌手活動ができなくなった当時思い出し涙 歌への思いは本物だった “異能力士”元大関2代目増位山・沢田昇さんを悼む

大相撲の元大関2代目増位山の沢田昇(さわだ・のぼる)さんが15日午後2時38分、肝不全のため死去した。17日に日本相撲協会などが発表した。76歳。葬儀・告別式は近親者のみで執り行う。1981年春場所で現役引退後、同年名古屋場所から2013年九州場所までデイリースポーツ紙上の評論「三保ケ関親方 喜怒御免」でも健筆を振るった。美声の持ち主で現役時代の1974年に「そんな夕子にほれました」が大ヒットした。2013年11月に日本相撲協会を定年退職後は増位山太志郎として歌手活動に専念していた。 ◇ ◇ 日本相撲協会を退職した際、担当として増位山さんと接した。ラウンド後はゴルフ場の浴場を利用せず「オレは人前で裸になるのが苦手なんだ」と語り「ま、力士だったんだけどね」とニヤリ。常人とは異なる感性の持ち主だった。 2013年秋場所限りで名門・三保ケ関部屋は消滅。後継者が見つからなかったためだが「ま、これも時代の流れだね」とサバサバした表情。そして退職後に向け「勇気を与える、心を慰める歌を歌いたい」と、意気揚々と語っていた。 その際、1985年に日本相撲協会が力士、親方の副業を禁止し、歌手活動ができなくなった当時のことを質問した。すると、増位山さんは唇を震わせ「男の嫉妬だろうね。オレの人気が気に食わなかったんだ」と大粒の涙を流した。歌への思いは本物だった。 『玄人はだし』の言葉が似合う趣味人だった。カメラはライカ、ローライを所有し、現像ラボを所有。絵画は二科展特選。レース鳩に熱中した。90年代にシベリアンハスキーを飼育した際は、逮捕前の愛犬家連続殺人事件の死刑囚と面識があり「オレも危なかったよ」とよく話していた。 CDなどデジタルの音は「薄い」と言い「いかにアナログ調に聴こえるようにするか」と信念を吐露。モーターではなくベルトドライブ方式でCDを回した音をカセットテープに録音し、それをCD-Rに焼き直しカーステレオで聴いていた。「これが正解。面倒くさいけれど」とニヤリ。まさに異能力士だった。(デイリースポーツ・山本鋼平)

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