チャーリー・シーンと依存症の戦い 『aka チャーリー・シーン』で知る人生の悲喜こもごも

どんな目に遭っても、命がある限り人生は続く。Netflixで配信が始まったドキュメンタリー作品『aka チャーリー・シーン』(2025年)は、俳優チャーリー・シーンの半生を本人と紐解いていく作品だ。 チャーリーほど浮き沈みの激しい俳優人生を送った人物はいないだろう。名作『プラトーン』(1986年)で主演に抜擢され、若きスターとして注目を集めると、数多くの映画に出演し、『メジャーリーグ』(1989年)や『ホット・ショット』シリーズ(1991年~)などは日本でも大ヒットした。2000年代初頭から活躍の場をテレビに移すと、その天性のコメディセンスを本格的に開花させ、『チャーリー・シーンのハーパー★ボーイズ』(2003年~2015年)は本国で大ヒットを記録。私もチャーリーの映画でどれだけ笑ったか分からない。実家の母に至ってはチャーリーのコメディ演技が好きすぎて、『プラトーン』のチャーリーでも爆笑していた。俳優とは難しい商売である。 輝かしい成功を収めたチャーリーだが、一方で問題行動やゴシップにも事欠かなかった。酒、薬物、暴力、逮捕、裁判、緊急搬送……2010年代前後から、チャーリー関連のニュースは主に(そのまんまの意味で)事件だったように思う。だがチャーリーはいつも不思議とユーモラスな部分があり、そのせいか彼のファンもそれを面白がった。かく言う私も、チャーリーがバカをやるたびに「チャーリー、やってんなぁ」くらいで笑っていたものだ。そして気が付けば、彼はすっかり俳優ではなく、今で言う“炎上芸人”になってしまった。 本作はPART.1と.2の2部構成で、チャーリーのキャリアが関係者の証言とともに丁寧に語られる。PART.1は、ある種の武勇伝を楽しむようなニュアンスが強い。もちろん薬物・暴力の話が頻出するが、どこか「若気の至り」感が漂う。いや、個々のエピソードはそんなレベルではないのだが。たとえば、こんな調子である。 ・飛行機で泥酔していたら、チャーリーのファンだった機長が操縦室に入れてくれて、自動操縦を切った状態で乗客3000人が乗った飛行機を操縦させてもらった。 ・チャーリーの依存症が悪化し、見かねた家族が彼に施設に入れと説得する。その際、ダメ押しにクリント・イーストウッドから電話がかかってきて、施設に入れと言われる。 ・そんなクリントの言葉に感激しつつも、それはそれとして、入所の夜に施設を抜け出してビキニコンテンストの審査員を務める。 ・ニコラス・ケイジ関連のエピソード全部。 「コンプラばかりで世の中が息苦しい」という人は、ぜひとも観てほしい。その息苦しさに自分が守られていることに気が付くはずだ。俺は泥酔した操縦未経験者の飛行機には乗りたくない。 しかし、PART.1の終盤、そしてPART.2に入ると、作品の雰囲気が変化する。時期的にはチャーリーが『ハーパー★ボーイズ』で大成功し、薬物依存症が急激に悪化していった頃だ。ここからは薬物によってチャーリーがおかしくなっていく姿が生々しく映され、本人や関係者の口からも赤裸々に語られる。薬物と酒をチャンポンにして飲み、連日連夜のパーティー三昧。それでも金はバカみたいに入ってくる。そして……せっかく築いた幸せな家庭を、自らの暴力でブチ壊し。共演者や製作者たちと築いた信頼関係を自らブチ壊し。作ってはブチ壊し、ブチ壊しては作り直し。この繰り返しだ。映像を撮りやすくなった時代だから、当時の映像も大量に出てくる。素人の私から見ても、当時のチャーリーは明らかに憔悴している。そんな過去を語っているとき、チャーリーの語気は時に荒くなり、出演者たちも当時の苦労を思い出して涙を流す。出演者の中では、まだ依存症は終わっていない。これは俳優のキャリアを辿るものというより、現在進行形の依存症患者をめぐるドキュメンタリーでもある。 PART.1と.2を通じて、このドキュメンタリーは、依存症患者と接することの苦労と、患者本人の苦悩を克明に描く。そして多くの視聴者は、依存症の治療は死ぬまで終わらないと痛感するだろう。再起と墜落の繰り返しを何度も見せられたあとだ。チャーリーには悪いが、8年の禁酒だって、また破られる可能性が高いと感じるだろう。希望を持てるかたちでドキュメンタリーは終わるが、現実は続く。映画のように酒や薬物をやめた直後にエンドロールが始まったりはしない。これからもチャーリーと依存症の戦いは続くのだ。 しかし、同時に思うのは……チャーリーがいい人でよかった、という安心感だ。酒と薬物が入っていなければ、彼は本当に俳優として才能があり、シャイで優しく、ユーモラスなナイスガイなのだろう。だからこそ本作には元妻たちや、友人・知人、俳優仲間が出演し、彼への愛憎入り混じる想いを語っているのだ。依存症の苦しみが永遠に続くことも伝わるが、同様に彼が周りから愛されていることも伝わってくるし、それくらい彼がナイスガイなのも伝わってきた。いちファンとして、彼が愛されていたことに感謝し、そしてこれからの無事を祈りたい。私も、もう彼が現実でバカをやっても面白がったりしない(笑えなくなった、とも言える)。それがチャーリーのファンとして、これからの自分が取りたい姿勢だ。 チャーリー・シーンを知らない人にとっては、依存症患者のドキュメンタリーとして、彼のファンにとっては、“チャーリー観”を改めて考えさせてくれる映画として、ぜひオススメしたい。

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