ポルノは「表現」か「性暴力の記録」か ヨーロッパで考えた「ポルノ大国」日本の現実 北原みのり

作家・北原みのりさんの連載「おんなの話はありがたい」。今回は世界最大のフェミニストイベント「FiLiA 」で考えた、「ポルノ」と社会について。 * * * 10日ほどヨーロッパを旅していた。ちょうどその間、日本サッカー協会の影山雅永技術委員長(当時)が、パリのシャルル・ド・ゴール空港で逮捕されたニュースが流れてきた。影山氏が機内で児童ポルノを見ていたのを、エールフランスのキャビンアテンダントたちが確認したのだという。 2019年にもオーストラリアの空港で、日本からの旅行者がスマホに児童ポルノを大量に保存していたことでその場で拘束され、禁錮1年4カ月の実刑判決を受けている。 日本の男の感覚で海外に行くと捕まることがあるのだ。 私は今回、世界最大のフェミニストイベント「FiLiA 2025」に参加するためにイギリスに向かっていた。世界70カ国から2500人以上の女性が集まり、250人のスピーカーによるディスカッションや講演会、ワークショップがぎっしり詰まった3日間だ。主に女性への暴力がテーマだが、なかでも「ポルノ」への関心は高かった。ポルノについて考えるワークショップでは、フランス人弁護士が、フランス人、イギリス人、アメリカ人、インド人のスピーカーが、それぞれの国の現状を話していた。 フランスでは今、児童保護団体がEUの司法裁判所にポルノ産業への訴えを起こしているという。ポルノは社会と子どもに有害で、公衆衛生面でも治安面でも問題があり、ドラッグや依存症と同様に扱うべきだとして、「EU法で保護すべき対象ではない」というものだ。 民主主義をうたう社会で、ポルノは表現の自由として守られてきた。自由経済、自由意思を最も重要視する国々で、ポルノは巨大産業として発展し、今や世界中で毎日何十億人もの人がポルノを鑑賞する世界になっている。でもそれは本当に「表現の自由」として私たちの社会が守るべき「サービス」なのだろうか?

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