(文中敬称略) 2025年10月28日、2022年7月8日に安倍晋三元首相を殺害した山上徹也被告の公判が、奈良地方裁判所で始まった。 この原稿を書いている時点で、公判は10回を数えるが、特に11月18日と19日の第8回/9回の公判に証人として出廷した山上被告の妹の証言は衝撃的だった。 証言の全文は、傍聴席の抽選に当たった方がネットにアップしているので、できれば探して読んでほしい。私はnoteに有料でアップしている方がいたので、課金して読んだ。大手メディアの報道が省略してしまっている、生々しい話がそのまま掲載されている。 ●これは「逆恨み」と矮小化してはならない 旧統一教会に入信した母は、1998年ごろまでに約1億円を献金してしまった。兄、山上被告、妹の3人の子どもは、進学さえままならない状況に追い込まれる。カネの無心を繰り返す母に、山上被告の兄は反発して家庭内は不和となる。そして兄は2015年に自ら命を絶ってしまう。 人生の難事の7割から8割はカネで解決する――身も蓋もない人生の知恵だ。そのカネのありったけを他ならぬ母親が「献金」の名目で旧統一教会に渡してしまう。旧統一教会に母親を洗脳されたことでで、山上家は「家庭という名の地獄」となったのである。 妹は「私たちは統一教会によって家庭を壊された被害者だが、法律的には何の被害者でもありませんでした」と証言しているという。 つまり、国の仕組みとしては地獄から救出されることはなかったということである。 妹の証言の中からは、その絶望的な状況の中、なんとかして必死に家族を支えようとする山上被告の姿が浮かんでくる。 初回公判後、奈良地検の大前裕之・次席検事は量刑について「不幸な生い立ちでも真面目に暮らしている人はたくさんいる」と述べた。生い立ちを過剰に考慮すべきではない、との立場を強調したわけだ。 報道を含めて、「安倍元首相殺害はあくまで山上被告の逆恨み」ということで納めたいという雰囲気を感じる。が、一国の元首相暗殺は、駄菓子屋で不幸な貧乏少年が行う万引きとは訳が違う。責任を山上被告一人に押しつけて事足れりとできる問題ではない。 彼の「不幸な生い立ち」の直接の原因である反社会的カルトの旧統一教会と政治は、選挙を通じて癒着していた。これは、「山上被告による安倍晋三元首相の殺害、という殺人の罪」とは別に考えねばならない、旧統一教会と、政府・自民党の罪だ。法的にどう考えるべきかは、私の知識の範囲を超えるので「犯罪」とは書かない。より根源的かつ道義的で、社会の形を維持するためには排除しなくてはいけない「罪」と書く。 (……読者の皆様、松浦さんのテンションが上がっていますが、もうすこしお付き合いください:担当編集Y) 社会の平穏を保つには、可能な限り多くの人が「自分は社会から見捨てられた」と感じて自暴自棄の行動に出ないように、社会を運営しなくてはいけない。すべてを救うことができないとしても、自暴自棄になる人が可能な限り少なくなるように社会的な仕組みを整備する必要がある。 それは政治の責任だ。 なので、自由民主党が、どのような歴史的経緯を経て日本国民を洗脳して搾取する旧統一教会と癒着したのか、その癒着がどれほど山上被告を絶望させたかを見つめなければいけない。でなければ、山上被告がそこまで追い詰められ、駆り立てられた社会状況が存続してしまう。山上被告のような人が彼しかいないと思ってはいけない。状況を放置すれば、次の「山上被告」がまた出現する可能性が十分以上に残る。 山上被告をヒーローとして扱う必要はない。一方で、彼の逆恨みという矮小(わいしょう)化した納得の仕方をしてしまうのも、たいへんまずいと考えている。 と、いったんここでクールダウンして改めて考えてみよう。そもそも、この旧統一教会とは、どういう出自で何をやっている組織なのか。韓国生まれの変わった新興宗教、というくらいの理解が一般的なのではないだろうか。おっと、そこで慌ててネットを検索するのはお勧めしない。 あなたが向かうべきなのは、図書館である。そう、紙の本。