日本赤軍が80年代にICPO川田晃氏の誘拐画策 重信房子元最高幹部がNHK番組で証言

日本赤軍が1980年代後半に国際刑事警察機構(ICPO)警察局長だった川田晃氏の誘拐を画策していたと、重信房子元最高幹部(80)が6日放送のNHKの番組「未解決事件」で証言した。「ドイツの革命組織に所属する人物」から持ち掛けられ、最終的に断念したと語った。 ■話を持ち掛けられ断念 番組で重信元最高幹部は「日本人がICPOの局長になったので、誘拐して日本と欧州の政治犯を釈放させたい。ついては、経験のある日本赤軍の戦士を3~5人準備してほしい」と言われたとし、「川田氏の車のナンバーや自宅の写真もあったそうだ」と述べた。 日本赤軍側は「われわれがやらなくても、あなたたちができるだろう」と断ったが、「プロフェッショナルな日本人が最低3人は必要だ」と押し切られたという。 相手側が東ベルリンの広場で会って謀議すると連絡してきたものの、接触場所を警戒してとりやめたという。話を持ち掛けたとされる「ドイツの革命組織」とは、ドイツ赤軍など当時の西ドイツのテロ組織とみられる。 川田氏は警察庁国際刑事課長などを経て、1985(昭和60)年から90(平成2)年まで日本人初のICPO警察局長を務めた。帰国後は非常勤のICPO副総裁や皇宮警察本部長を務め、平成22年に死去した。 ■東独の秘密警察が把握 川田氏を誘拐する計画は、当時の東ドイツの秘密警察(シュタージ)が把握していたという。シュタージは日本赤軍に便宜を与えつつ、動向を監視していたことが、産経新聞が1999年に入手した秘密文書で判明している。 文書によると、東独政府は、日本の外務省の要請を受けて、東欧への出入りが確認されていた重信元最高幹部や岡本公三容疑者=国際手配中=らの入国を禁止し、拘束した場合は日本に移送する方針だった。 番組で重信元最高幹部は、パレスチナ解放機構(PLO)など国際的なネットワークによって日本の警察当局の動きを入手し、日本赤軍を担当する責任者の写真や特徴が送られてきていた、とも明らかにした。 重信元最高幹部は過激派、赤軍派で活動した後、昭和46年に出国し、その後日本赤軍を創設した。平成2年、ひそかに帰国して大阪府内に潜伏していたところを府警警備部の追跡チームが執念の捜査で逮捕した。オランダの仏大使館が占拠された「ハーグ事件」の殺人未遂罪などで懲役20年が確定し、令和4年に出所した。(渡辺浩)

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