「犯人を知っている――」 その一言が、警察の判断を狂わせた。 卒業式の日の夜、自宅で血まみれになって殺害されていた中学生の娘。捜査が迷走する中、浮上したのは覚醒剤事件で拘束中の暴力団員の証言だった。裏取りも乏しいまま“真犯人”とされた青年は、無実を訴え続けることになる。 昭和の闇に埋もれた冤罪事件を、新刊『 世界で起きた恐怖の冤罪ミステリー35 』(鉄人社)より一部抜粋してお届けする。(全2回の1回目/ 後編を読む ) ◆◆◆ 1986(昭和61)年3月19日、福井県福井市豊岡2丁目の市営住宅東安居団地6号館2階に住む高橋静代さんは、この日の午前中、福井市光陽中学校3年の二女智子さんの卒業式に出席した。 静代さんは6年前に離婚、長女は父方に引き取られており、スナックに勤めながら智子さんと2人で暮らしていた。 式を終え2人は一度別れた後、智子さんが17時半ごろに帰宅。静代さんが18時ごろに出勤して以降、智子さんは一人で家にいた。 21時ごろ、一度智子さんから店に電話があり、帰宅したのが日が変わった午前1時半ごろ。ここで静代さんは驚愕の光景を目にする。自宅6畳間で娘が血まみれになって死んでいたのだ。 通報を受けた福井署が現場に急行。智子さんは普段着姿で仰向けに倒れ、右首筋に包丁が突き立てられたまま亡くなっていた。頭部にはガラス製灰皿で殴られた痕跡が認められ、首には二重の条痕が。死因は刺し傷からの失血死で、刺し傷は全部で約45ヶ所。 現場の状況などから、犯人はまず灰皿で頭を殴りつけ、電気カーペットのコードで首を絞めようとした後、上半身にこたつカバーを掛けた上から滅多刺しにされたものと推測された。凶器の刃物は家の台所にあった刃渡り約18センチの文化包丁で、首に刺さっていたものと、傍にあった「くの字」に曲がった包丁の少なくとも2本。 また、21時半ごろに団地の住民らが騒がしい物音を聞いていたことなどから、死亡推定時刻はその直後の21時40分ごろとみられた。 留守番の際は智子さんが必ず施錠していたこと、遺体に抵抗してできた傷や争った形跡がなかったこと、現場から犯人に繋がる指紋や遺留品などが出てこなかったことなどから警察は、智子さんの顔見知りで交友のあった非行グループを中心に捜査を開始するも、有力な手がかりが得られないまま半年が経過する。 事態が動くのは、早くも迷宮入りの声が聞こえ始めた1986年10月下旬。8月半ばに覚醒剤取締法違反で福井署に未決勾留されていた暴力団員C(同22歳)が「中学生を殺した犯人を知っている」などと口走った。 当初は警察も相手にしていなかったが、勾留期限が迫るなかCは「後輩Eが顔や服に血の付いた男を白い車に乗せてきた」と具体的な供述を始める。事件の長期化による焦りもあってか、警察はCの供述を足がかりに内偵を進め、事件発生から1年後の1987年3月29日、福井市在住の無職・前川彰司さん(同21歳)を殺人容疑で逮捕する。 「犯人がわかれば刑が軽くなるかも」なぜ無実の青年が“凶悪殺人犯”に…?《福井女子中学生殺人事件》ヤクザ男が「最悪のウソ」をついた理由(昭和61年の冤罪事件) へ続く