摘発におびえ、それでも「閉めたくない」茶店 ミャンマー難民の「心の拠り所」営む姉妹

タイ北西部メソトの市場は、昼間もひっそりとしていた。 店を閉じた区画が目立つ。その一角で、姉のタンダーさん(42)と妹のピョーさん(32)は、小さな茶店を営んでいる。 その日、近くのミャンマー人居住区で警察の摘発があったとの情報が流れた。姉妹は開店から2時間ほどで店を閉めたという。残った料理は持ち帰り、近隣の人々に配った。 翌朝、再び訪ねると、姉妹はまた鍋に火を入れていた。 魚のだしがきいた麺料理モヒンガー、麺サラダ、甘く濃いミャンマー風のミルクティー。周辺に暮らすミャンマー人が、一人、また一人と立ち寄った。軍事政権による弾圧や戦闘を逃れ、国境を越えてきた人もいる。 ミャンマーでは、こうした茶店は「ラペイエサイン」と呼ばれる。食事をとり、人々が言葉を交わす身近な場所でもある。 ◇安全な場所なく ミャンマーでは2021年のクーデター後、国軍側と民主派の抵抗勢力、少数民族武装勢力などとの戦闘が広がり、内戦状態が続く。 メソトには、戦闘や弾圧を逃れて、多くのミャンマー人が暮らしている。 姉妹もかつてはヤンゴンで暮らし、会計や技術系の仕事に就いていた。2021年2月のクーデター後、軍政への抗議活動や民主派への支援に関わった。自宅を捜索され、家族の逮捕をほのめかす脅迫も受けたという。 翌年、メソトへ逃れた。 到着後しばらくは、タイで暮らすための書類を何も持っていなかった。警察を恐れ、近くのコンビニに行くことさえためらった。 洗濯したロンジー(巻きスカート)を外に干せば、ミャンマー人が暮らしていると知られるのではないか。そんなことまで気にした。 ◇16日間の拘束と恐怖 生き延びるために始めたのが、市場の茶店だった。営業当初は、1日の売り上げが300バーツ(約1500円)ほどにしかならず、翌日の仕入れ代にも困った。 だが、店も安全な場所ではなかった。 タンダーさんによると、24年8月、警察が店を訪れ、客らとともに連行された。タイでの滞在や就労の足掛かりとなる身分証「ピンクカード」を持つ客は釈放されたが、タンダーさんは計16日間も拘束された。 収容先では床で寝るしかなかった。ぜんそくの持病があり、高熱やせき、下痢に苦しんだ。言葉の暴力や性的な嫌がらせも受けたという。 釈放後も恐怖は消えなかった。制服姿の警察官や警察車両を見ると、逃げ出したくなる。大通りを避け、細い路地を歩くようになった。 「自宅軟禁のようなものです」 家と店を往復するだけの日々を、タンダーさんはそう表現した。同じ言葉を、今回の取材で何度も聞いた。 タイは、難民の保護を定めた条約を批准していない。国境には以前から難民キャンプがあるが、クーデター後に新たに逃れてきた人々は原則として受け入れていない。 ◇繰り返される摘発 姉妹はその後、仲介業者に金を払い、ピンクカードを得た。通常は7000~8000バーツ(約3万4000~3万9000円)程度だが、タンダーさんは過去の逮捕歴を理由に1万3000バーツ(約6万4000円)を請求された。 労働許可上、店はタイ人の名義で、姉妹は店の補助者として登録されていた。自ら飲食店を営業するには、別の許可が必要になるが、大家が必要な書類を出さず、まだ手続きを進められないという。 今年2月、姉妹は再び警察に拘束された。今度は2人ともピンクカードを持っていた。それでも、登録された仕事と実際の営業内容が異なるとして問題視された。 姉妹によると、周囲の人々から金を借り、計2万4000バーツ(約12万円)を現金で支払った。その日の夜に釈放された。 書類があれば、警察に連行される危険はいくらか減る。だが、自由に働き、安心して暮らせるわけではない。 姉妹の店には、手持ちの金が乏しい人もやって来る。国軍と戦った元兵士らが食事を頼り、「後で払う」と言って食べる若者もいるという。 「店を閉めたくない」 摘発におびえながら続ける茶店は、もう自分たちだけの店ではなくなっている。【メソトで小泉大士】

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