“シマケン”佐野晶哉、“吾郎”甲斐翔真ら 『風、薫る』はなぜ“強い男性”を描かないのか

NHK連続テレビ小説『風、薫る』も残すところ2週と少し。日本における近代看護の先駆者を描いた今作は、主人公である一ノ瀬りん(見上愛)と大家(小川)直美(上坂樹里)が道を切り開く様子を描いてきた。その途上で出会う人々は、男女ともに印象深い人物ばかりだ。 特に男性キャラクターについては、小説家を目指す「何者でもない」青年“シマケン”こと島田健次郎(佐野晶哉)や、近衛歩兵で友人の見舞いに訪れた帝都医大病院で直美と出会い、後に夫婦となる小川吾郎(甲斐翔真)、詐欺師で折々の節目で登場し、直美の人生に気づきをもたらす寛太(藤原季節)、りんの幼なじみで後に上京してりんと再会する虎太郎(小林虎之介)を筆頭に多くの男たちが主人公の前に登場する。 上で挙げた4人以外にも、新聞記者で警察に逮捕された拘置所でりんに結婚を申し込む横沢(井上祐貴)や慈愛のまなざしで直美の成長を見守る神父の吉江(原田泰造)、舶来品を扱う瑞穂屋のオーナー卯三郎(坂東彌十郎)、帝都医大に入院していた直美の患者で、ドラマの重要な舞台となる団子屋を譲り受ける忠蔵(若林時英)、内務省衛生局の役人で赤痢の村でりんたちと出会う藤次(中村倫也)など味のある人物ばかりで、挙げはじめるときりがない。 りんと直美の人生に影響を及ぼす彼らは独自の存在感を放っているが、それぞれが動機と喜怒哀楽の感情を持ち、個性の異なる人物である。その中で共通する特質を見いだすことができる。それは「強い男性」が登場しないことだ。いわゆる「男らしさ」を帯びた強権的でマッチョな価値観の男性はりんの元夫・亀吉(三浦貴大)くらいで、多くは弱さともろさを抱えた影のあるキャラクターとして描かれる。 その代表はシマケンと吾郎だろう。瑞穂屋でりんと出会うシマケンは、当初ミステリアスな空気をまとっていた。文学的な視座から世界を眺め、含みのある言い方で自己を韜晦するシマケンは、次第にりんと言葉を交わすようになる。りんがなにげなく発する一言を、シマケンは独自の角度から折り返す。それはとてもさりげなく、それでいて相手を肯定する温かさと示唆に満ちていた。りんの「シマケンさんは私のトンビ(紙飛行機)ですね」からわかるように、りんが心の迷いを晴らし、新しい一歩を踏み出す手助けとなった。 そのシマケンは苦悩する人でもあった。「何者でもない」自身に悩み、小説家として世に出ようとするが、才能と現実の壁に阻まれて最終的に断念する。りんとの関係を前に進めようとしてかなわず、互いを愛しく思う気持ちを秘めながら別々の人生を歩むシマケンは、挫折する文学青年の生きざまを体現するものだった。 シマケンには屈託があり、繊細でもろい一面があった。他方で、内に秘めた情念は創作者ならではの激しさがあった。しかし、その厳しさは終始自身にのみ向けられていた。他者に対して陽だまりのような笑顔を見せ、特に甥の文史朗(蒼井旬)や環(瀧七海)に無償の愛を注ぐ人だった。言葉本来の意味を超えて、みんなの「おじさん」として親しまれるシマケンに救いを見いだした人もいると思う。 そして吾郎である。職業軍人という、直美の信条と相いれない出自を持つ吾郎は、実直さの塊のようなキャラクターだ。病院で出会った直美との第一印象は互いに良くなかったはずだが、吾郎は直美の仕事ぶりにほれる。当初、吾郎は直美の眼中になかったが、一途な吾郎の思いが伝わり、いつしか直美のほうが吾郎を好きになる流れは、本作の貴重な胸キュン要素を担っていた。 軍人の吾郎は決して弱い人間ではない。しかし、吾郎の強さは、あくまで守るための強さで、誰かを傷つけるために銃剣を振るう人物ではなかったはずだ。少年のような吾郎は、軍服の第2ボタンをわざと外して、それを直美が一生懸命に縫い付けるのを見るのが好きという、いたずらっ子の側面もある。ピュアさを秘めた吾郎の性格は、死のエピソードに表れている。台湾で負傷し、広島の陸軍予備病院で治療を受けたものの予後は芳しくなく、惜しくもこの世を去った。直美と旧知の多江(生田絵梨花)の前で、愛する人を思いながら号泣した吾郎は弱さを隠さない男性だった。 「弱さの肯定」は今作において重要なモチーフである。人間は傷つき、病み、老いる。看護婦にとって、どんな患者も治療して、守る対象となる。 虎太郎は、りんが幼い環(宮島るか)を連れて東京へ行く際に手助けをし、後に上京して製薬会社の社員となる。りんへの思慕は虎太郎の中で大きな部分を占めており、医療に関する仕事に就いたのも、そのあらわれといえる。後ろ盾のない虎太郎には、身一つで成功するしかないという思いがある。それがある種の上昇志向に転化するのだが、努力が実る頃には虎太郎は世間を覆う立身出世主義に染まっていた。その姿はかつての優しくて素朴な虎太郎とは違っていた。 虎太郎は自ら志願して日清戦争で朝鮮に渡るのだが、帰ってきたときには別人のようになっていた。戦場で見聞きした出来事は虎太郎にショックを与え、自らの生き方を省みさせるのに十分だっただろう。力の支配の極致のような戦争は、虎太郎一人の存在など取るに足りないことを思い知らせたはずだ。心が壊れてしまった虎太郎にりんは寄り添って、こう言った。 「あの頃とおんなじ。優しい虎太郎のまま」 戦場で仲間の死に心を痛める虎太郎の中には、あの頃と同じ優しさがあった。傷つく虎太郎の描写は、虎太郎の優しさの裏返しでもあった。 シマケンや吾郎、虎太郎が見せた挫折の苦悩や涙、弱さの表現は何を意味するのか? 彼らは、当時まだ珍しかった看護や女性が自立して生きることに理解を示しており、その点で周囲より進んだ考えを持っていた。その上で、弱さを隠さない彼らは、強い人間にも弱い部分があることを示している。 過去に題材を取ることが多い朝ドラでは、往々にして男性キャラに記号的な強さを付与する傾向が強かった。弱さを見せるのはごく例外的であり、それが作中で強い男性の演技として表現されていた。 しかし、それらは時代によって押しつけられた役割にすぎない。つらい、痛い、苦しい。タテマエの裏側には本音があって、その苦しみを照射することは、看護とは何かを問う今作において避けて通れないプロセスだ。だからこそ、主人公の周囲に配置される主要キャラに弱さの表現を担わせたのではないか。 それは女性であっても変わらない。看護は命を慈しむもので、命は平等だからだ。同時に、男性キャラクターにとって、類型的に描かれてきた男らしさの描写を解き放つ意味合いもある。再登場した亀吉は、以前は男らしさに縛られているように見えたが、歳月の経過が亀吉にも何らかの変化をもたらしたと信じたい。 今作の根底には「ケア」の精神が流れている。作り手がそれを登場人物の造形に取り込んだ『風、薫る』は、ドラマのジェンダー表現に新しい風を吹きこんだと言えるだろう。

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