昭和46(1971)年の成田空港用地第2次代執行(強制収用)の際に反対派が機動隊を襲撃し、応援の神奈川県警警察官3人が死亡、約100人が負傷した「東峰十字路事件」から16日で55年を迎えた。元被告の一部はその後、実力闘争から話し合い路線に転じ、今は成田空港の機能強化のため、強制収用を可能にする土地収用法の適用を求めている。 ■「子供起こせばよかった」 事件は46年9月16日朝に発生。成田空港用地近くの千葉県成田市天神峰のやぶの中から反対派約700人が現れ、神奈川県警の約260人の部隊と衝突した。部隊は正規の機動隊ではなく、普段は交番などで勤務する警察官による臨時編成部隊だった。 福島誠一警部補=当時(47)、柏村信治巡査部長=同(35)、森井信行巡査=同(23)の3人が手錠を掛けられたり、鉄パイプでめった打ちにされるなどして「惨殺」された。その日、神奈川県警神奈川署に無言の帰還をしたときの様子を、翌17日付のサンケイ新聞はこう報じた。 ≪3人の遺体が、堀田安夫・神奈川署次長とともに神奈川署に帰ったのは、この夜遅くだった。 午後8時まず柏村信治巡査部長のひつぎが笹島清署長、金沢昭雄・県警刑事部長をはじめ幹部、署員約200人が挙手の礼で出迎える中を、同署に到着した。 3階の講堂に設けられた仮安置所にひつぎが運ばれると、妻、英香さん(30)は長女の幹子ちゃん(2)を抱きかかえてよろけながら歩み寄り、夫の顔をのぞき込む。一瞬、顔は苦痛でゆがみ、ひざを落としていまにも倒れそう。突然、幹子ちゃんが大声で泣き出した。いままで父の死がなにを意味するかわからなかった幹子ちゃんだが、異様なふんいきに悲しみを感じとったのだろう。 柏村巡査部長はこの日未明、こどもたちが起きないように、足音をしのばせて出かけた。「あのとき、こどもを無理してでも起こして〝お別れ〟をさせればよかった…」と英香さんはくやしそうにいう。 「空港をつくる公団の人たちが一線に立てばいいんですよ。下のものばかりが犠牲になるなんて…。わたしは今後どうすればいいの、教えてください」。大声で泣き叫ぶ英香さん。そのふるえる肩にしがみつく幹子ちゃん…≫