【追悼】「がんと一緒に長生きしろや」と笑わせた カウスさんが語る中田ボタンさんとの50余年

人気漫才コンビ「中田カウス・ボタン」の中田ボタンさん(本名・藤長明)が9月14日に亡くなっていたことがわかった。78歳だった。1967年にコンビを組み、長く一緒に舞台に立ってきた中田カウスさん(77)が、AERAに相方との思い出を語った。 * * * 中田カウス・ボタンは、ジーンズ姿で舞台に立つ「アイドル漫才師」の先駆けとして人気を集め、後に正統派のしゃべくり漫才を磨き上げ、上方を代表するコンビとなった。 「亡くなったと聞いて、驚くとともに残念でなりません。3、4カ月前、最後に会ったときは元気そうにしていた。コンビとしては最高やった」 カウスさんは寂しげに話した。 ■「漫才やらへんか」と言ったら「なんやそれ?」 60年ほど前、カウスさんは大阪市内のバーでアルバイトをしながら、漫才師を目指していた。そのバーに客としてやってきたのがボタンさんだった。 「師匠(中田ダイマル・ラケット)のもとで修業しながら、誰かいい相棒はいないかと探していた。あるとき相方がバイト先のバーにきた。おしゃれで愛嬌があって、この子やとひらめいた。喫茶店で会わないかと誘って、『漫才やらへんか』と言ったら、『なんやそれ?』ですわ。それから3カ月、毎日のように会い続けて、カネ儲かる、家や車が買える、女の子にもてると口説き続けて、コンビを組むことになった」 カウスさんは漫才修業をしていたが、ボタンさんは漫才すら知らない素人だった。コンビ結成後は常にカウスさんが台本を書き、ボタンさんはひたすらそれを覚え、ネタ合わせする日々だった。 「2人でアパートの屋上で練習していたら、いきなりお巡りさんがやってきた。『男2人がケンカしてると通報があった』と、捕まりそうになった。『ダイマル・ラケットの弟子で、漫才の練習や』と言うと、なんとか警察も納得してくれた。以来、相方は警察のお世話になりっぱなしや。ほんまええ思い出ですわ」 大阪のプロダクションに売り込みに行き、1969年に吉本興業入りし、出番をもらえるようになった。吉本興業のなんば、梅田、京都の劇場だけでなく、ストリップ劇場や刑務所の慰問など、様々な場所で舞台に立ち、腕を磨いた。

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