3月16日、沖縄県名護市辺野古沖で2隻の小型船が転覆した。研修旅行の一環で乗船していた同志社国際高校2年、武石知華さんと船長の金井創氏が亡くなった。両親は原因究明、再発防止を求め中城海上保安部に同校校長ら学校関係者4人、船を運航したヘリ基地反対協議会の幹部ら7人の刑事告訴に踏み切った。事故は異例ともいえる経過を辿っている。両親は何を考えて、なぜ行動したのか。インタビューに応じた。(聞き手はノンフィクションライターの石戸諭) 【編集部注】2026年3月16日午前10時10分ごろ、沖縄県名護市辺野古沖で、同志社国際高校の研修旅行に参加していた生徒らを乗せた小型船「平和丸」と「不屈」が相次いで転覆した。2隻には高校生18人を含む計21人が乗船。全員が海に投げ出され、同校2年の武石知華さんと「不屈」の船長、金井創氏が死亡した。同志社国際高校は2012年以前や15〜18年にも、研修旅行の一部コースに辺野古テント村訪問を組み込んでいた。ボート乗船を始めたのは2023年3月。研修旅行初日の開会礼拝を依頼していた牧師で、「不屈」の船長でもあった金井創氏から提案され、校内で検討してコース別学習に組み込んだ。24年、26年にも乗船を実施した(25年は雨天で中止)。いずれも事前の下見は行なっていなかった。 ──知華さんが亡くなって半年が過ぎました。 武石知華さんの父:もう半年かと思いました。正直、感慨深くはないですね。本当にあっという間に過ぎていきました。最初は刑事と民事という言葉の違いも知らなかったのです。何が刑事事件にあたり、何が民事訴訟の対象になるのか。責任の範囲ってどう違うのというのもまったくわからなかった。 知華が亡くなった責任は学校にもあるはずなのに捜査もされないのはなぜ? 海保が捜査しないのならば学校は警察が動いてくれるんじゃないの、と当たり前のように考えていました。つまり、漠然と刑事事件になるんじゃないの?と思っていたのです。さすがに校長や引率教員に責任はあるだろうと。協議会幹部だって責任が問われるのは当たり前だと思っていました。でも、そうはならないことに驚くことから始まりました。 母:この間、私たちは孤独だったという思いが強いです。他の方の事故や事件の報道に接しても私は涙が出てしまう。今、依頼をしている唐澤英城弁護士と出会ったのが5月末ですが、それまでは……。本当に辛い時間が続いています。生徒が撮影して、私たちに提供してくれた研修旅行の映像には、船上で知華の声が残っていました。「やばい、やばい、やばい」という声です。転覆ですごく怖い思いをしたのかと思うとやりきれません。 父:あの日、妻から知華が救急搬送を受けたという第一報を聞いた時、私たちの間で「抗議船」という言葉も一致しなかったことを覚えています。私は報道で「抗議船」「転覆」という言葉を見て、まさかそんな船に高校生を乗せることなんかないだろうと思ったので、「抗議(こうぎ)活動に使う船なのだから高校生は乗っていないだろうし、大丈夫でしょう」と返事をしたのです。そしたら妻は「だから沖縄で講義(こうぎ)を受けていたんだって」という。講義を受けて、船に乗るという意味だと思っていたんですね。お互いに言葉の認識がずれるくらい意味がわかっていなかった。辺野古の問題で陸上の座り込み活動があることは知っていましたが、まさか海上でもやっているとは知らなかった……。私たちに知識がなかったことは悔やまれます。 ──一手に引き受けてくれる弁護士を探すのも大変だったのですね。 父:私は友人にたまたま弁護士がいて、最初期から相談をしていました。私たちには知識もなく、拙いながら刑事事件にしたい、学校や団体にも捜査ができないのかと聞いていたのですが、彼は弁護士として、今私たちが置かれている状況を丁寧に説明し、「刑事は海保の捜査を待つしかないんじゃないか」、そして友人として「相談は受けるから」と言ってくれました。個人事務所で時間も労力も限られ、全面的に代理人契約を引き受けられないという事情もくみ取ることができました。同時に自分たちの希望はハードルがこんなにも高いのだという現実も知ることになったのです。 母:友人、知人も含めていろいろな方から「この弁護士はどうか」という連絡をいただきお会いしました。でも、話されることは大体同じです。 父:お会いした弁護士の方からは今回のような業務上過失致死傷事件で学校関係者の刑事責任を問うのは難しいし、民事にしても「学校や協議会は民事訴訟でお金は取れるかもしれない。でも、取れるのはお金だけですよ。相手が自分たちに責任はないといった主張を聞いたりするような辛い時間が長く続くかもしれません」というお話ばかりを聞きました。 その度に「なるほど刑事事件だと学校側が捜査対象になる可能性はこんなにも低く、民事訴訟というのは長い時間をかけてもお金を払わせることしかできない上に、相手に払う力がなければ何もできないのか」と初めて知る話ばかりで、ますます辛くなりました。 母:あれ?これって仮に逮捕されるとしても(平和丸の)船長だけで終わりになるんじゃない」と2人で話す時間も増えてきました。事故後、さまざまな映像を手に入れることができて、私たちでも検証しましたが平和丸の船長たちが救助活動を行えば、知華は助かっていたのではないかと。それなのに彼らは何もしていません。あまりにも無責任で、学校がなぜ彼らに運航を任せたのかも納得いきませんでした。それなのに彼らの責任を問うのは難しいという話ばかりで、弁護士に会って話を聞き、帰宅するたびに泣いていました。 ──その最中、5月28日に知華さんを偲ぶ会が同志社国際高校で開かれています。その前日に学校側と個別の交渉があったと伺いました。そこで何が話されたのでしょうか。 【編集部注】学校法人同志社は事故翌日の3月17日に謝罪を公表し、同28日、外部の弁護士による特別調査委員会を設置した。文科省は4月に現地調査を行い、5月22日、安全管理や研修旅行の計画を「著しく不適切」とし、辺野古をめぐる学習についても政治的活動を禁じた教育基本法14条2項に反すると判断、同志社に改善を指導した。7月25日には海上保安庁が同志社国際高校を家宅捜索。同31日、特別調査委員会が調査報告書を提出した。 父:私が個別で話を聞きました。部屋に入ると学校側の弁護士が4人、ずらっと私の目の前に座って、校長と事務方が部屋の隅に座っていました。彼らが「今の時点でこういう話をするのはどうかと思いますが、今後の流れとして……」と前置きして、「民事交通事故訴訟 損害賠償額算定基準」──私たちもこういうものがあると後から知ったのですが──に照らし合わせた基準を書類として提示してきたのは事実です。そこに具体的な額こそ記載されていませんでしたが、私は唖然としました。 事前に相談していた友人の弁護士から「とりあえず何を出されてもサインはしてはいけない。最初は “はい” とも “いいえ” とも言わずに受け取るだけでいい」とアドバイスを受けていたので、書類を受け取るだけは受け取りましたが……。 その後、友人は学校側の書類を見て、これは法曹業界でいわゆる「赤本レベル」と呼ばれるもので、特殊な事情を一切考慮しない一般的な交通事故の賠償基準について書いてあるものだと教えてくれました。加えて彼は「しかし、何も言わずに受け取れとは言ったけど、よく耐えたな。さすがに机を蹴って出ていくレベルだよ」と言ってくれたのです。おかしいと思った自分たちは正しかったんだなと確信しました。 母:それまでは学校側の刑事責任を追及することに躊躇がありました。知華が好きだった学校だし……という思いはあったのです。しかし、これだけ過失がある学校側が、この時点で賠償の話をするのか……。私は偲ぶ会で八田(英二)理事長に「娘を返してください」と怒りのあまり思わず怒鳴りそうになりました。 父:この日を境に私たちの中で学校との信頼関係は一気に冷え込みました。自分たちの調査結果や責任の所在について話をするのではなく、私たちと和解に持ち込みたいという話を先にするのは納得がいかなかったのです。 ──刑事事件は難しいという中で、どのように告訴状ができあがったのでしょうか。 母:唐澤弁護士との出会いが大きかったです。刑事事件として責任を追及したいんだという私たちの要望を聞いた時、「これ、私ならお手伝いできるかもしれません。もちろん海保に受理されるかどうかは私が決められることではありません」と言ってくれた初めての弁護士でした。この時点で、お願いしようと決めました。 父:唐澤弁護士も人づてに名前を聞いていた方の一人です。検察官だけでなく行政経験もあるという経歴も伺っていましたが、お会いするまでどうなるかわかりませんでした。 協議会だけでなく学校側だってこれだけずさんなんだから、学校の安全管理の責任を問いたいと。責任の所在を明らかにすることが原因究明、再発防止策につながっていくというのが私たちの思いですと伝えました。難しいと何度も聞かされた中で、前向きな返答があっただけでなく、代理人契約をお願いしても、すんなりと「私でよければ」と言ってくれました。 そこから刑事告訴をすること、そして受理まで持っていくことが一つの目標になりました。他方、その頃は、学校は被疑者として扱われていないのではないかと感じていました。また、ヘリ基地反対協議会もどこまで上層部の責任が問われるのかもわからないような状況でした。 そこで、私たちも唐澤弁護士との相談を通じて、自分たちは刑事事件においてどこまで責任を問うのかを明確にしました。少なくとも学校側は校長、学年主任、引率教員の4人、ヘリ基地反対協議会は幹部クラスを筆頭に7人は責任を問われるべきだという結論に達しました。 ※【後編】に続く