少数派の運動が社会を変えた―指紋押なつ拒否はなぜ勝利したのか、シンポを機に考える

「市民運動」と聞くと、自分には関係ないと思う人や、巻き込まれないようにと身構える人もいるかもしれない。けれど、市井の人たちの運動が、社会を大きく変えたこともある。1980年代の「指紋押なつ拒否運動」は、少数派の在日外国人が日本政府を動かし、法制度を改正させた希有な例だ。運動はなぜ勝利したのか。昨年開かれたシンポジウムをきっかけに、再考してみる。(共同通信編集委員・原真) ▽たった1人の反乱 指紋押なつ拒否運動は1980年、「たった1人の反乱」から始まった。在日韓国人の韓宗碩(ハン・ジョンソク)さんが東京都新宿区役所で、外国人登録法(外登法)で義務付けられた指紋の押なつを拒否したのである。 韓さんは戦前、日本の植民地だった朝鮮半島から大阪へ渡った在日1世だ。1952年のサンフランシスコ講和条約発効に伴い、日本国籍を失った。「僕は日本人として生まれ、日本のために働いてきた。なぜ指紋を強要されるのか」。生前、そう訴えていた。 それから40年余り。京都市の同志社大学・都市共生研究センターと同志社コリア研究センターは2024年11月、指紋押なつ拒否運動を振り返るシンポを開催した。運動を先導した在日外国人や、取り締まる側だった元入管幹部らが参加し、刺激的な議論が続いた。

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