園児2人が遺体で発見…ある日突然、その犯人にされた「元保育士」が語る「日本のえん罪」闇の実態…『甲山事件』山田悦子氏が伝えたいこと

「逮捕されると警察の留置場に連れて行かれますよね。最初にどんなことされると思います?」 岡山操山高校通信制(岡山市中区)で行われたえん罪と人権に関する特別授業で、山田悦子さん(73)は20人の生徒を前にこう話し始めた。生徒の1人が「警察に質問される」と答えると、 「違うの、まず身体検査。真っ裸にされるわけ。肛門の穴まで。私は肛門の穴は調べられませんでしたけどね。すっぽんぽんになるわけです。女性の場合は、生理用品を付けていても外すんですよ。人間の闘う力を最終的に打ち砕くような、そういう取り調べの第一歩があるわけです」 今から51年前の1974(昭和49)年。兵庫県西宮市にあった知的障がい児施設の『甲山(かぶとやま)学園』で、園児2人が園内で遺体で見つかった。いわゆる『甲山事件』である。 甲山学園の保育士だった山田さんは、殺人罪で2度逮捕されたものの異例の長期裁判の結果、25年後の1999年に3度目の無罪判決でようやく無罪が確定した。 これまで殆どメディアの取材を受けて来なかった山田さんが特別授業に応じたのは「教育として伝えていく普遍的な問題を、えん罪甲山事件は持っている」として、模擬裁判を通じて知り合った宮田拓教諭からお願いされたことがきっかけだった。 「今まで犯人視報道されていましたから、いっさい拒否していたんですね、でも、マスコミに聞かれるの。『山田悦子さんはテレビに出ない』って行き渡っていましたよね。 どうせ死ぬのだからいいですよと思って。それよりも伝えることの方がやっぱり大事だと思ったからです。だからもうちょっと早く、若くて美しかった時に会いたかったんですけど、すいません」 甲山事件では男女2人の園児が行方不明になり、園内の浄化槽から遺体で発見された。 当時22歳の山田さんは1人目の女児が行方不明になった日に宿直しており、遺体発見に激しく動揺していたという理由だけで事件発生から21日後に殺人罪で逮捕された。 当時兵庫県警は「職員による犯行」として捜査を進めていたという。 「1人目の子どもが行方不明になった時に、学園が警察に捜索願を出したんですね。警察犬も導入してマンホールの上を調べたわけです。 異常な反応を示したんです。ただ、『(行方不明の子どもが)外に出て行ってしまった』という思いが警察、職員にもあったもんですから、まさかこんなところに居るとは誰も考えなかった。だから警察犬がマンホールの所に行って反応したんですけど、その反応に(警察は)応えなかったんですね。これプロであるならばちゃんと調べるべきだったんですけど、警察がそういう1つ目の(捜査の)失態をしてしまったわけです。 中1日おいて2人目の子どもが行方不明になった。大騒ぎになったわけです。もう一度、徹底的に学園を調べようということで、マンホールの蓋を開けて調べた。それも職員が発見したんです。警察は何の役にも立たなかった。 子どもが浄化槽から遺体として見つかった時に、同時に鉄のボルト、ピアノのキー、そしてブローチ、靴。いろんな物が(浄化槽から)あがってきた。私たちはそのあがったものを見て、子どもが日頃、マンホールの蓋を開けて遊んでいたんだなということがわかってショックを受けたんです。 本来ならば2人の子どもが死んだ原因を究明する、とても大事な証拠の品なんですね。それを警察は全く無視して、遺体が見つかると翌日に記者会見を開いて、職員の犯行として打ち出したわけです、内部犯行説で。全く捜査なしでいきなり。そこに“えん罪「甲山事件」”が発生したわけですね。 職員たちは「ひょっとしたら、子どもが関与したのではないか」って、みんな思ったわけです。でも、警察がそういう発表をすると、もう『子どもが関与している』なんて言えなくなる。だんだん虚構のストーリーの調書が取られていくわけです」

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