危険な違法走行を繰り返す暴走族。 各地で市民の平穏を侵害するその集団を長崎県が事実上の壊滅へと追い込みました。 FNNは、昭和から令和へと続く暴走族壊滅までの戦いを追跡。 さらにカメラが捉えたのは壊滅後も後を絶たない暴走行為。 一体何が起きているのか、その実態を取材しました。 長崎市の繁華街で追跡するパトカーを挑発しながら車の間ギリギリをすり抜け、危険運転を行う暴走族。 爆音をとどろかせ、蛇行運転や信号無視など違反行為を繰り返す暴走族は、時に一部が暴徒化し、市民を巻き込む事件を起こすなど、1980年代をピークに大きな社会問題となっていました。 しかし2025年1月、県警は、当時16歳から17歳の配管工や高校生など6人を逮捕し、バイクに同乗していた別の少年ら5人も送検しました。 そして、少年らには誓約書を書かせ、県内に唯一残っていた暴走族を解散に追い込みました。 長崎はなぜ暴走族を事実上壊滅することができたのでしょうか。 県内でも暴走族の動きが激しくなっていた1988年、県警は県下全ての警察署の署長を集めた対策会議を開くなど、壊滅に向け総力を挙げた取り締まりの強化に取り組みました。 同時に、こうした暴走族を追放しようと地域を巻き込んだ取り組みも活発化していきます。 こうした地道な取り組みと警察の厳しい取り締まりによって解散に追い込まれたグループも。 1991年の真夏の夜、白い特攻服を着て警察署の前に次々と集まってきたのは暴走族のメンバー。 暴走族のリーダーは「暴走行為により一般市民に多大な迷惑をかけ、とことん深くおわびいたします。今後一切、暴走行為などをせず、交通道徳に従い、安全運転を心がけることを誓います」と警察署の前で誓いました。 暴走族の活動が活発になる夏場に合わせ「サマーナイト作戦」と銘打った連日連夜の取り締まりによって、県警は複数の暴走族を解散に追い込みます。 当時、白バイ隊員として取り締まりにあたった県警交通指導課・松尾浩晴警視。 県警交通指導課・松尾浩晴警視: 平成2年〜4年は毎年100人を超える暴走族を検挙していた。暴走族の離脱、チームの解散に追いやっても、また新しく芽吹いてくる、いたちごっこ。 それでも県警が取り締まりの手を緩めることはなく、排気ガスで膨らますことができる暴走車両を阻止するためのアイテムも発案されました。 県警によりますと、県内の暴走族は1972年をピークに減少。 その後、1998年になるとグループ数は1桁台を推移し、2025年1月、最後の暴走族が解散。 これで市街地に静かな夜が戻ってくると思われましたが、2月24日午後9時ごろ、長崎市でカメラが捉えたのは、大きな音を響かせながら通り過ぎていく数台のバイク。 近くに来るとかなり大きな音です。 夜遅くに走るバイクの騒音で「うるさい」「眠れない」などの苦情は後を絶ちません。 苦情は2024年度も100件を超えています。 県警は、この深夜の暴走者を暴走族に属さない暴走常習者によるものと認識していますが、その実態を把握することは難しいといいます。 県警交通指導課・松尾浩晴警視: どんな犯罪でもそうだが、SNSの発達で非対面で(暴走族の)集会はなくても、連絡が取れて意思決定ができる。おおげさに言えば、全然知らない同士が現場に集まって暴走行為をする。昔はなかったような形態も現代の特徴と言える。