1995年3月20日に発生した地下鉄サリン事件では、14人が亡くなり、5000人以上が被害を受けた。警察庁は事件の2日後にあたる22日に都内と山梨県上九一色村(当時)にある教団施設に一斉捜索をかけることを予定していた(実際に一斉捜索は22日に行われた)。 なぜ一斉捜索はこのタイミングだったのか。『地下鉄サリン事件はなぜ防げなかったのか 元警察庁刑事局長 30年後の証言』(朝日新聞出版)を上梓した、事件当時に警察庁刑事局長だった垣見隆氏に聞いた。(聞き手:長野光、ビデオジャーナリスト) ──1994年6月27日に長野県松本市で松本サリン事件が発生し、同年7月に山梨県の上九一色村にあったオウムの教団施設周辺で異臭騒ぎがありました。そして、10月7日に行われた教団施設周辺での土壌採取の結果、サリンの残渣物が検出されました。松本サリン事件から土壌採取まで警察庁の中でどんなやり取りがあったのでしょうか? 垣見隆氏(以下、垣見):松本サリン事件は特異な事件でしたから、警察庁でも強く関心を持って取り組んでいました。科学警察研究所の所長が現地を訪れて状況を把握し、ほどなくして使われた薬物がサリンだと分かりました。 その後、山梨県下の教団施設周辺で異臭騒ぎがありました。 その数年前から坂本堤弁護士一家殺害事件を捜査していた神奈川県警察が、捜査の過程で山梨県上九一色村での異臭騒ぎの情報を入手し、9月末に警察庁に報告があったのです。その後、警察庁が山梨県警察に連絡して確認すると、確かに7月にそういう事態が発生して、教団施設周辺の草木が枯れたことがわかりました。 松本サリン事件が起きたときには、サリンについての知見は警察にありませんでしたが、「化学兵器に関しては防衛庁が知見を持っているのではないか」という科学警察研究所の担当者の助言に基づき、防衛庁に協力要請し、以来、防衛庁の化学兵器を扱う部署と警察庁刑事局の担当官が連絡を取り合うようになっていました。 そうした中で、山梨県下での異臭事案が判明したので、すでに時間が経っていましたが、対応策を相談したところ、防衛庁担当者より「土壌の中に残留物が残っている可能性があるので、土壌採取をしたらどうか」との助言があったのです。 場所は山梨県下でしたが、松本サリン事件を調べていた長野県警察にサリンに関する知見があったので長野県警察に土壌採取をしてもらいました。 それまでの捜査で、長野県警察は7月の時点で、オウムがサリンの原材料を入手していることも突き止めていました。また、神奈川県警察との情報交換の中で、オウムが機関紙の中でサリンに関して言及しており、関心が高いらしいということも分かっていました。 ──土壌からサリンが検出されて、どのようにそれまでと捜査が変わったのですか?