右翼街宣車80台が金沢結集で「尹奉吉墓碑撤去」叫ぶ 市民らは抗議

3月30日、金沢市内は異様な光景に包まれた。右翼が進軍ラッパを大音量で鳴らし、80台近い街宣車でデモを実施。音量がすさまじく、そして口汚い。交差点にはバリケードが作られ、交通渋滞が引き起こされた。市民生活・営業活動にも支障が生じ「うるさい」「やめろ」と直接抗議する住民や、「戦時中のようだ」と不安の声を上げる住民もいた。SNS上でも「観光都市金沢で、こんな街宣を許していいのか」と批判が上がった。 この街宣は、右翼による「4・29尹奉吉『記念館』開館阻止行動」連続行動の一環であった。 韓国では上海義挙を行なった尹奉吉は安重根、李奉昌と並び独立運動に命をかけた殉国者だ。日本は1875年に江華島侵略を開始し、1910年に韓国を「併合」。そして32年に日本の傀儡国家「満州国」を建国し、第1次上海事変を起こした。上海派遣軍司令官の白川義則大将は同年4月29日、戦勝記念式典を上海の虹口公園で挙行したが、その最中に尹奉吉が手榴弾を投擲し、白川らは死亡。45年9月に東京湾のミズーリ艦上で行なわれた降伏式典で、降伏文書に署名した外相(当時)の重光葵が杖をついているのは、この時に片足を失ったためだ。 日本陸軍は尹奉吉が「独立運動の英雄」となることを恐れ、上海派遣軍の主力・第9師団の司令部があった金沢に連行、処刑した。そして、遺体を秘密裏に石川県戦没者墓苑(金沢市野田山)の崖下、ごみ焼却場の近くに埋めたのだ。 戦後、在日の努力により遺体が発見され、遺骨は祖国へ送られた。92年、在日と日本の市民らがお金を出し合い「尹奉吉義士暗葬之地」として記憶する墓碑を建立した。

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