5月13日、89歳でこの世を去った元ウルグアイ大統領ホセ・〝ペペ〟・ムヒカ氏は、「人間らしく生きる」という当たり前でありながら困難な理想を、極限の状況でも貫いた人物だった。2010年から2015年まで大統領を務めた彼は、ゲリラ活動の過去から国家のリーダー、そして思想家としての晩年に至るまで、その波乱に満ちた生涯と揺るぎない哲学で多くの人々に深い感銘を与えたと13日付CNNブラジルが報じた。 ムヒカ氏は、かつてラテンアメリカ最大の都市型ゲリラ組織「トゥパマロス」の一員として活動し、逮捕・投獄された経験を持つ。15年近くにわたり厳しい独房生活を送り、拷問や孤独、失禁、幻覚などの極限状態を生き延びた。その中で、看守に水を与えられず、やむを得ず自らの尿を飲むという過酷な体験すらしたという。 1976年、長い獄中生活の間、ムヒカ氏は尿失禁に悩まされ、軍によってトイレに行くことを禁じられた。状況を知った母親は、ピンク色の便器を息子に渡し、それを息子に与える許可を得た。だが軍はそれがムヒカ氏氏の手に渡るのを阻止した。彼は何度も便器を与えてほしいと言い張った後、自分が収容されていた兵舎で、著名なゲストを招いて開かれていたパーティーに乗じて、トイレに行かせてくれないと窓から大声で叫んだ。 これが客たちの注目を集め、部隊の少佐がムヒカ氏のもとへ行き、仕方なく要求を聞いて彼に便器を手渡した。ピンク色の便器はムヒカ氏にとって、軍に要求を通した貴重な記念品として大切にされていた。ムヒカ氏は釈放された日に便器を持って出て行った。彼はマリーゴールドを入れて持ち帰り、それを栽培して刑務所の花壇に咲かせることに成功した。 大統領となってからも質素な生活を貫き、モンテビデオ郊外のリンコン・デル・セロという農場で花や野菜を育てながら、妻ルシア・トポランスキーや3本足の愛犬マヌエラと暮らしていた。大統領公邸には住まず、夏の大統領別荘すら売却してその資金を低所得者向け住宅計画に充てた。就任式で使用する大統領タスキも、前任者から借りられず、修道女たちが急遽作ったという。サイズが合わず、彼の太ももまで垂れ下がっていた。 形式主義を嫌い、公式の場でもネクタイを着けず、時には短パンとサンダル姿で現れることもあった。大統領になったにも関わらず、市場で花を売っていた少年時代を忘れず、自らの過去に誇りを持ち続けていた。彼が所有していた青のフォルクスワーゲン・ビートルは象徴的存在で、100万ドルを超える買い取りの申し出があっても「金よりも価値のあるものがある」として手放さなかった。ルーラ大統領もこのビートルで彼とドライブを楽しんだ。 ムヒカ氏は一般市民との距離の近さでも知られていた。2014年のテレビインタビュー中、ホームレスに「コインをくれ」と声をかけられた際、「コインはないが、泣くな兄弟」と励まして紙幣を一枚渡すと、乞食は「アンタは一生大統領でいてくれ!」と感謝。ムヒカ氏は「お前は頭がおかしい」と笑いながら「周りに帽子でも回して募金を頼め」と返した。 13日付CNNブラジルpop記事によれば、彼の人生は数々の映画やドキュメンタリー作品によって後世に語り継がれている。2024年公開の『ペペの夢』は気候危機を背景にムヒカ氏の哲学を描き、「よりよい未来を築く時間は限られている」と警告する。2018年のNetflix作品『エル・ペペ、至高の人生』では、ムヒカ氏自身がその半生と思想を率直に語っている。1997年の『トゥパマロス』は、彼が所属したゲリラ組織とその背後にある民主主義への想いを記録。映画『一晩の夢のような12年』(2018年)では、1970年代に10年以上にわたって投獄され、拷問を受けたムヒカ氏と彼の仲間の活動家の実話を描いた。2022年の『フラワーベッドからの教訓』では、彼の農場での暮らしを通じて人生観や政治観が語られている。 ムヒカ氏の生涯は権力への抵抗、自己犠牲、そして愛にあふれた哲学に貫かれ、「真の豊かさとは何か」「自由とは何か」という問いを私たちに投げかけている。 2011年4月13日、ウルグアイのモンテビデオで農場にいるホセ・ペペ・ムヒカ氏と愛犬マヌエラ • Ricardo Ceppi/Getty Images(2)より (1)https://www.cnnbrasil.com.br/internacional/pepe-mujica-10-fatos-surpreendentes-sobre-o-ex-presidente-uruguaio/ ムヒカ氏:ウルグアイ元大統領に関する映画やドキュメンタリーを見る (2)https://www.cnnbrasil.com.br/entretenimento/pepe-mujica-veja-filmes-e-documentarios-sobre-o-ex-presidente-do-uruguai/