<追跡公安捜査>「あの冤罪はいけにえ」 くすぶる警視庁の思惑、陰に外事増強論

あの会社は、外事部門を増強するためのいけにえにされた――。 警視庁公安部による冤罪(えんざい)事件「大川原化工機事件」について、立件に突き進んだ背景をある捜査関係者がこう説明した。 経済安全保障の旗振り役として、現在福井県警本部長を務めるキャリア警察官もある役割を果たしていたという。 この冤罪捜査の責任を問う裁判の判決が、28日午後2時に言い渡される。 ◇「ノンキャリ」の下で進んだ捜査 警視庁公安部外事1課。 海外への不正輸出を捜査するこの部署が、横浜市の化学機械メーカー「大川原化工機」を調べ始めたのは8年前にさかのぼる。 当時の外事1課長は、幹部候補向けの警察庁採用試験をくぐりぬけたキャリアではなく、警視庁で採用された「ノンキャリア」。続く2代の課長もノンキャリだった。 この3代の課長の下で捜査は進められ、大川原化工機は軍事転用可能な装置を中国と韓国に不正輸出した疑いをかけられることになる。 そして、社長ら3人が2020年に逮捕・起訴された。捜査着手から3年後のことだった。 一連の捜査は警察内部で高く評価され、外事1課は警視総監賞と警察庁長官賞を受賞する。 賞状には「周到適切な組織捜査を推進して被疑者を検挙し事件を解決した」「多大な成果を収めた」などと記されていた。 さらに警察庁は、安倍晋三元首相の肝いりだった経済安全保障の実績として、警察白書でこの事件を取り上げた。 「外事」の名を上げるのに、この事件の立件は大きく貢献することになった。 ◇「これからは外事という雰囲気だった」 公安部には外事以外にも、共産党や過激派などを監視する「公安」部門がある。 00年代の公安警察について、ある元公安部長は次のように解説する。 「共産党や極左などの勢力は、昔のような力はなくなった。国家の安全を考えると、これからは経済安保、外事警察が非常に重要だった」 別の元公安部長もこう語る。 「公安部内では、これからは外事という雰囲気だった。極左や共産党の内部に協力者を得る工作をし、情報収集するのは時代に合っていない。公安部が従来の体制のままでいいとは誰も思っていなかったはずだ」 実際、警察庁は04年、外国の治安機関との高度な折衝や情報収集のため「外事情報部」を新設し、その下に外事課と国際テロ対策課を置いた。 外事増強の流れは、大川原化工機事件の前からあったわけだ。 ◇キャリア課長就任、変わる情報管理 大川原化工機の立件で評価された外事1課に20年8月、新しい課長が就任した。 これまでのノンキャリではなく、キャリア警察官。 階級は警視正で、警視だった従来のノンキャリ課長よりも「格」が一段上がった。 この課長が現在、福井県警本部長を務める増田美希子氏。 まだ数少ない女性の県警本部長で、福井県警では初めてのケースだ。 増田氏は、外事1課長に就く直前まで警察庁外事課の理事官を務めており、経済安保の旗振り役として期待されていた。 本人も周囲に、安倍元首相の政策を評価していると話していたという。 大川原化工機事件については理事官時代に警視庁から報告を受けていた。 外事1課長時代には、大川原化工機側から立件を疑問視され、問題となった大川原化工機の噴霧乾燥器に関する追加の温度実験をするなど補充捜査に関わった。 当時の警視庁外事課は、1課(ロシアや不正輸出)▽2課(中国、北朝鮮)▽3課(国際テロ)――の3課体制(現在は北朝鮮担当を独立させた4課体制)。 複数の捜査関係者によると、増田氏は2課と3課に対し、自分に情報を上げるよう指示していたという。 この指示は公安部内では極めて異例だった。 ある捜査関係者はこう振り返る。 「公安部では、同じ課内でも情報共有しないので、別の係が何の捜査をしているのかすら分からない。増田氏が就任するまで、2課と3課が1課長に報告へ行くことはあり得なかった」 ◇うわさされた「外事部構想」 増田氏が外事1課長に就任した頃、捜査員の間でささやかれていたのが、公安部から外事部門を独立させる「外事部構想」だったという。 その布石として、キャリアの増田氏が就任し、情報を一元化しているのではないかとうわさされた。 しかし、外事部構想の存在について現職の公安部幹部らは否定している。 一方で、ある元警視総監はこう明かした。 「公安部のそれぞれの課は独立独歩。お互いに意思疎通をするような性格の仕事ではなかった。もし外事部をつくるという話があるのなら、時代の流れからみてもよく分かる。そのような話は昔からあった」 増田氏は外事1課長を4カ月半務めた後、公安部の筆頭課である公安総務課の課長に就任していた。 そして公安部ナンバー2の参事官を務め、警察庁に戻っていった。 ◇「捏造発言」後、事件の評価一変 脚光を浴びた大川原化工機事件は突然、幕が下りることになる。 初公判を4日後に控えた21年7月、東京地検が社長らの起訴を取り消したのだ。 さらに、この捜査の責任を問う国家賠償請求訴訟の証人尋問で、捜査員が「事件は捏造(ねつぞう)」などと捜査を批判した。 大川原化工機事件が単なる捜査の失敗ではなく、冤罪だったことが対外的に露呈していくなかで、警察内部でも事件の評価を変えざるを得なくなった。 「捏造発言」の翌月の23年7月、警察庁は警察白書から大川原化工機事件の記述を削除した。外事1課は警視総監賞と警察庁長官賞も返納した。 外事1課長のポストも、増田氏から4代にわたりキャリアが就任していたが、23年8月から従来のノンキャリに戻っている。 外事部構想は話題に上るどころではなく、関係者の間では「当面、不正輸出事件は着手できないのではないか」と言われている。 ある捜査関係者はこう話す。 「大川原化工機の捜査がこけたので、ノンキャリに戻ったのだろう。外事増強の流れのなかで、それ以外の理由は見当たらない」 捜査に振り回された大川原化工機側は謝罪と検証を求め続けているが、警視庁は応じていない。 ある捜査関係者は言う。 「これだけの冤罪を引き起こしても、謝罪も検証もしなければ、警視庁は今後も変わることはないだろう」【遠藤浩二】

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