ポーランドのマキシミリアノ・コルベ神父(1894~1941年)は、第二次大戦中、ナチス・ドイツのアウシュビッツ強制収容所(ポーランド南部)で別のポーランド囚人の身代わりとなって死刑に服した。戦前の長崎に30年から約6年間滞在し、宣教活動をしたことでも知られる。 41年、ナチス占領下のポーランドの首都ワルシャワ近郊で、神父はユダヤ人を含めた難民たちを修道院で保護したことなどで、独秘密国家警察に逮捕され、アウシュビッツに送られた。この年の7月に収容所内で脱走事件が発生。副指揮官は見せしめとして10人の男性囚人を選び、地下室で餓死させるように命じた。選ばれた同胞の軍曹が、自分には妻子がいると叫んだ時、神父は身代わりを申し出た。神父は地下室で、他の9人を最後まで励まし続けたという。ローマ教皇庁は82年、神父を聖人に認定した。 そのコルベ神父の評価を巡り、ポーランドの歴史研究者の間では意見が分かれている。問題となったのは、神父が運営していた出版社の雑誌だ。中には反ユダヤ主義的な文言がみられる。神父はユダヤ教徒など異教徒の改宗に熱心だった。出版物には「ユダヤ人は民衆の体内のがん」との記述もある。 7月に取材で訪れたポーランド北部グダニスクの第二次大戦博物館の展示内容は、政権が代わるたびに変更されてきた。右派政権下、神父の善行は大きく紹介され、神父が出版した雑誌について「ユダヤ教に対する議論は人種的偏見とは無関係のものだった」と注釈が加えられた。2023年12月にトゥスク首相率いる中道政党が政権に就くと、展示は強制収容所での自己犠牲の一例として、より控えめな扱いとなった。博物館員は「神父自身が人種差別主義者でなかったとしても、彼の出版物は反ユダヤ主義プロパガンダの発信源となりました」と理由を語る。 かくしてこの国では、過去の戦争とどう向き合い、どう語るか、歴史学者と国民を巻き込んだ議論が続いていく。 翻って日本はどうか。私たちは戦争の被害に比べ、負の側面、加害の歴史を十分に語ってきただろうか。歴史からどんな教訓を学んだのだろうか。日本にもなじみのある神父の生涯と毀誉褒貶(きよほうへん)をたどりながら、改めて考えさせられた。