「スパイ天国」繰り返し、防止法制定を推進した中曽根元首相 石破政権の答弁書とは大違い

政府は15日、日本がスパイ天国とは考えていないとする答弁書を閣議決定した。だが、昭和57~62年、当時の中曽根康弘首相は「スパイ天国」との現状認識を繰り返して、スパイ防止法の制定を推進した経緯があり、石破茂政権の見解とは大違いだ。 ■スパイ防止法制定に意欲 53年10月の参院予算委員会で福田赳夫首相は「スパイ天国とまで言われるわが日本。こういう状態を放置しておいていいのかどうか」と述べ、将来はスパイ防止法が必要との認識を示した。 翌54年には保守系の学者や文化人が発起人となって「スパイ防止法制定促進国民会議」が発足。55年に陸上自衛隊の陸将補がソ連に情報を流したとして逮捕されたものの、自衛隊法の守秘義務違反で懲役1年の判決を受けただけだったことから、制定の機運が高まった。59年には「スパイ防止のための法律制定促進議員・有識者懇談会」が発足し、政界を引退した岸信介元首相が会長に就任した。 自民党は60年、「国家秘密に係るスパイ行為等の防止に関する法律案」を議員立法で提出。外交・防衛上の国家秘密を外国に漏らした場合、最高刑を死刑とした。 当時の中曽根首相は国会で「日本はスパイ天国とよく言われ、国家機密保持の状況は、実は寒心にたえない面もある」「日本はスパイ天国であって、これに関する法規がないということは甚だ残念」などと度々答弁し、成立に意欲を見せた。 ■反対した村上誠一郎氏 この動きに対し、社会党や共産党などは「国民の権利を制限する」などと猛反対。法案は実質審議に入らないまま廃案となった。 61年、中曽根首相は法案の再提出に意欲を示し、党内の特別委員会が最高刑を無期懲役に引き下げるなどした修正案をまとめた。 この年の11月、鳩山由紀夫氏(後の首相)ら自民党の中堅・若手議員12人が法案に反対する意見書に名を連ねた。その中の1人が現総務相の村上誠一郎氏だった。 その後、法案は再提出されず、岸氏の死去や中曽根内閣の退陣で制定の機運はしぼんだ。(渡辺浩)

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