5月に92歳で死去した志村康さんは、わが子に会えなかった。ハンセン病を発症したことを理由に、1996年まで存在した「らい予防法」により、妻は中絶を迫られたからだ。そんな法律は基本的人権を保障した憲法に反すると訴訟を起こし、法廷で心の底からこう訴えた。 「裁判長、私の子どもを国から取り戻してください!」 ハンセン病への偏見がもたらした過酷な体験を明らかにすることで、悲劇が繰り返されないよう願い、差別のない社会の実現を夢見た人生だった。(共同通信=岡本拓也) ▽ハンセン病は「治る病気」でも隔離政策 志村さんは1933年、佐賀県で生まれた。15歳のときに発症し、国立ハンセン病療養所菊池恵楓園(熊本県合志市)に入所した。 ハンセン病は「らい菌」による感染症で、治療が遅れると後遺症として知覚のまひや体の変形などが起こる。元々感染力は弱い上、1940年代に特効薬が開発されており、医学的には治癒できる病気だ。