■夫とは不仲、他の男との恋に溺れていく… 現在でも「恋愛スキャンダル」が発覚すると、男性側より女性側のダメージが追求される傾向はありますね。俳優・田中圭さんとの不倫が疑われただけでも女優・永野芽郁さんは出演中のCMの大半を失ったのは記憶に新しい事件です。 こうしたある意味「男尊女卑」ともいえる状況は、戦前日本ではさらに過酷でした。とくに上流階級においては、女性の婚外恋愛は「家」の名誉を傷つける大事件として取り扱われました。 伯爵にして、注目の新進歌人でもあった吉井勇と、徳子伯爵夫人は、徳子の叔母・柳原白蓮の紹介で結婚したカップルでした。二人の結婚は大正10年(1921年)。徳子22歳、吉井勇は36歳のときでした。 吉井家は明治維新の功績を評価されて伯爵になったものの、もとは薩摩藩の下級藩士のお家柄。徳子や白蓮の実家・柳原(やなぎわら)家は公卿華族でもかなりの上層です。大正天皇の生母が柳原愛子(やなぎわらなるこ)でしたから、徳子は大正天皇のまたいとこということになりますね。 しかし「華族」と一口にいっても、各家の歴史や家風はまちまちで、けっして一枚岩ではありえませんでした。生育環境に大きな違いがあった吉井勇と徳子夫妻の不仲は決定的で、典型的な公家の娘といった風情の徳子に対し、勇は「打てども響かぬところがある」と彼女を冷たく拒絶したのです。 徳子は満たされない心の隙間を婚外恋愛で埋めようと躍起になり、よからぬ遊び仲間たちとダンスホール「フロリダ」で夜遊びするようになりました。徳子のスキャンダルは、ダンスホール「フロリダ」の人気ダンス講師・小島幸吉の不品行の噂を聞きつけた官憲による逮捕をきっかけに明らかになったのですが、徳子にとって小島などは「スイーツ」のようなもの。「本命」の男は別にいたのです。 いつしか徳子は「札付きの不良」として一部では有名になっていましたが、そんな徳子がとくに親しくしていたのが近藤廉治・康子夫妻でした。 近藤廉治の父親は日本郵船の社長として莫大な富を稼ぎ、男爵位を授かった近藤廉平です。近藤男爵家の三男坊・廉治は豊富な資金を背景に遊び暮らすことしか知らないプレイボーイで、徳子の恋人でした。 皇族だけでなく華族たちの行状も監督していたのが宮内庁(当時)の宗秩寮(そうちつりょう)といわれる組織で、その総裁だった木戸幸一侯爵は、吉井徳子伯爵夫人について警察から持ちこまれた情報を次のように書きつけています(昭和8年11月22日の日記)。 「警察部調査吉井徳子——近藤泰子近藤廉治との関係。昭和六年八月中旬より今日に至る。丸子玉川水光亭にて関係す」……つまり現在の二子玉川を見下ろす高級料亭が二人の不倫愛の巣でした。 一方、徳子には「鈴木伝明(=人気俳優)、川口松太郎(=人気作家)、慶応学生桜井浩太郎とも関係の疑あり」との記述も……。 さらに近藤廉治の妻・泰子についても、木戸侯爵は「小島幸吉(=「フロリダ」のダンス教師)の居住する大和アパートにて(小島と)関係」と苦々しげに書きつけています。 夫が料亭で豪遊しているとき、妻は愛人男性のアパートで不倫……。不適切な関係ではあるものの、近藤夫妻はお互いの婚外恋愛を受け入れあって仲良く過ごせていたようなので、今日的には特に問題というわけではなさそう。しかし国民が貧苦にあえいでいるのに「散財しながら婚外恋愛に興じる華族さま」というイメージは、彼ら華族を監督する立場の宮内省にとって最悪でした。不倫愛の当事者たちには厳しいペナルティが待っていたのです。