【プレイバック’95】戎橋の路上に座り込んで…「大阪・道頓堀ホームレス殺人」犯行2日前の犯人の姿

10年前、20年前、30年前に『FRIDAY』は何を報じていたのか。当時話題になったトピックを今ふたたびふり返る【プレイバック・フライデー】。今回は30年前の1995年11月10日号掲載の『「面白半分で」道頓堀川に 〝大阪ホームレス殺人犯〟戎橋で撮った「犯行2日前」』を紹介する。 1995年10月18日、大阪・中央区の戎橋でホームレスの男性が3人の若者グループに道頓堀川に投げ込まれ、死亡するというショッキングな事件が起きた。事件と逮捕された容疑者について報じた記事だ(《》内の記述は過去記事より引用。過去記事では登場人物はすべて実名で記載)。 ◆ホームレスの老人を5m下の道頓堀川に 『FRIDAY』が取材した事件発生当時の様子は次のようなものだった。 《大阪ミナミの戎橋をうろついていた3人の男が、手押し台車の上で毛布にくるまって寝ていたホームレスの老人を、落ちていた鉄パイプで小突いた。老人は無抵抗で、うずくまったまま。男たちは台車を橋の中央に引っ張り出し、前後に揺すったり、くるくる回し始めた。 たまりかねた老人が立ち上がろうとすると、2人が老人の手と足を持って、約5m下の道頓堀川に投げ込んだ。「そのうち勝手に上がってくるやろ」。3人は笑いながら、川まで降りていった。が、老人は浮き上がってこない。通行人の「警察に知らせろ」の声で、男たちはそのまま逃げ去った――》 亡くなったのは廃品回収業のAさん(63)だった。殺人容疑で10月21日までに逮捕されたのは、大阪府豊中市の無職・X(24)と和泉市の元会社員・Y(25)だ。犯行時、2人と一緒にいて取り調べを受けた元ウェイターの男を加えた3人は、たまたま橋の上で出会ったAさんを「面白半分に川に投げ込んだ」(当時の警察発表でのXの供述)という。 事件から2日後の20日に摂津市内の公園で寝ていたYが逮捕され、その翌日に東京・新宿歌舞伎町でパトロール中の警官にXが逮捕された。髪を金髪に染めたXは、護送される新幹線の中で、いびきをかいて眠りこけていたという。 ◆路上でタバコの安売りをしていた 本誌は犯行2日前のXの姿をとらえた写真を入手していた。記事ではその写真について、以下のように説明されている。 《犯行現場と同じ戎橋で、タバコの安売りをしている。「パチンコで取った」とXは客に言っていたが、逮捕後、自販機荒らしをしていたと本人が供述しており、このタバコも盗品の可能性がある。 「Xは一時期、現場近くのホストクラブで働いていたが、勤務時間もバラバラで、半年でクビになった。1年前から戎橋の上で、深夜ギターを弾いて自作の歌を歌っていた。自称〝ゼロ〟で、 これは、『ゼロからスタートしたい』という意味だそうです」(社会部記者)》 被害者のAさんは、手押し台車で段ボールを集めて暮らしていた。収入は1日500円ほどだったという。事件後、戎橋には祭壇が作られ、Aさんの仲間が手を合わせていた。廃品回収仲間の1人がAさんについて語っている。 《「半年前は釜ヶ崎で建設関係の仕事をしていたようだが、足を悪くして仕事ができなくなり、ミナミに来たと聞いた。毎日カネをもらうと焼酎を買って仲間と飲んでいた。無口で優しい人だった」》 事件が発生したのは朝の8時30分。周囲には通行人が何人もいたのに、Xらを制止しようとする人は1人もいなかったという──。 ◆川に「投げ込んだ」のではなかったと認定 1995年11月12日、Xは傷害致死罪で起訴された。事件の2ヵ月前にホームレスをからかっていたときにAさんに抵抗されたことがあった。その仕返しをしようと思って川に落としたと供述していたが、殺意は認められなかった。Xが起訴事実を認めた一方、11日に同罪で起訴されたYは「Aさんを抱き上げたことも川に投げ落としたこともない。共謀の事実もない」と全面否認した。 裁判は、一審では検察側の主張を全面的に認めて、XとYが2人でAさんをかつぎ上げて橋の上から落としたと結論づけた。だが、1999年6月の二審の判決では、Xの「しがみついてきたAさんの手を振り払った結果、川に落ちた」とする主張を認め、さらに犯行をX単独によるものとした。懲役6年という一審判決を破棄し、Xには懲役4年の実刑判決が下り、Yは’00年3月に無罪となった。 Xには幼少時から発作性の持病があり、小学生の頃から学校ではいじめられ、職場でも上手くいかなかった。また、求職活動をしても病気を理由に採用してもらえず、社会に居場所がなくて苦しんだという。 社会に出てからも仕事を転々としていたXが、ようやく見つけた居場所が「戎橋」だった。現在、戎橋は行き場のない若者たちが集まる「グリ下」として知られているが、当時もXと同じような境遇の家出少女や無職少年たちの溜まり場で、彼らは「橋の子」と呼ばれていた。初めて共感できる仲間と出会えたXは、ホームレスにも食べ物を分け与えるなど、優しく接していたという。しかし、いつまでも続く無職の日々に自己否定の感情を抱くうちに、いつしかホームレスに対して激しい憎悪を抱くようになった。 拘置所で書いた手記の中で、Xはホームレスへの感情を次のように書いていた。 〈僕はホームレスにある日突然、嫌悪感を抱き始めた。け飛ばし、つばを吐きかけ、たばこの火を押し付けた。雨に打たれ、食べ物がなくてもなぜ平気なのか。夢や希望がなく生きられることがうらやましい半面、人間の生き方には映らなかった。だから自分に「おれには夢も希望もあるんだ!」って言い聞かせた。うらやましいと思う自分が本当に嫌で、悲しかった〉(1998年6月24日の毎日新聞より) ホームレスへの暴行事件は’00年代初頭をピークに減少した。ホームレス自体の数が減少したこと等によるものだという。しかし、暴行そのものがなくなったわけではない。’20年にも岐阜県の長良川河川敷で生活していた81歳のホームレス男性が殺害され、少年ら5人が逮捕される事件が起きている。 弱い者たちがさらに弱い者を叩く卑劣な行為は30年前から変わっていないのだ。

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