ブラジル日系社会=『百年の水流』(再改定版)=外山脩=(280)

加藤は高貴の人ではない。世間が、自分と加藤とが一緒に詐欺行為をした、と見ているのは不当で、自分は単なる小市民に過ぎない。 サンパウロの三軒の家は、自分と加藤が、友人たちから集めた金で買ったもの」 加藤の妻キヨも、 「妃殿下と名乗ったことはない。生活費は農場からの僅かな収入で賄っていた」 などと言っていた。 偽宮騒動➆ この偽宮騒動、一時は大事件に発展すると━━加藤・川崎一味を除いて━━誰もが信じていた。 DOPSのリベイロ・デ・アンドラーデ捜査主任も、自信満々であったし、新聞も大変な興奮ぶりで紙面を作っていた。 ところが四月下旬、信じがたいことが起きた。 一味が全員、突如、釈放されてしまったのである。 これは、トレードという彼らの弁護士が、拘留期限が法的に認められている九十日を過ぎたことを理由に、釈放を要求したことによる。 その後、何故かDOPSの動きが止まり、事件は消えてしまった。 これは「詐欺を裏付ける証拠がない」という理由にもよるものであった。 完全な尻切れトンボであり、なんとも釈然とせぬ成行きだった。 捜査も打ち切られた。 邦字新聞が頻りと持ち上げていたDOPSの捜査主任は、記者の前には現れなくなった。 この展開には、それまで興奮して記事を書いていた記者たちも、続報の作りようもない…という有り様だった。 釈放された加藤は、翌日、カンタレイラに現れ、ニヤニヤ笑っていた。 カンタレイラとは、昔、加藤が蔬菜洗いをしていた中央市場があり、日本人が多く集った場所である。 恥も外聞も知らない世紀のクセ者との声が頻りであった。 ともかく、納得できないDOPSの動きであった。 川崎は、既述の様に、それ以前、何度逮捕されても起訴をすり抜けたという戦歴の持ち主であり、ここでも、その狡猾さを発揮したのであろう。 「裏で金が動いたのではないか…」 という疑惑も残した。 十四章で記したDOPSの刑事たちの低劣さを考慮すれば、案外、そんなところに手品のタネがあったのかもしれない。 後日談 加藤は釈放された後、妻キヨと共に、サンパウロ市内から、シッポーの農園に移った。(本宅その他がどうなったかについては、資料を欠く) 彼を宮様と信じていた人々は、暫くここで営農を続けていた。が、やがて次々と去って行った。 その中に、前出の、娘と姪を加藤に献上した岩井静雄の一家が居た。

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