【解説】 パリ連続襲撃事件から10年、いまだ消えない脅威

ヒュー・スコフィールド・パリ特派員 2015年11月にパリで発生した連続襲撃事件から、13日で10年がたった。パリではこの日、事件の犠牲者を追悼する「2015年11月13日記念庭園」の開園式が行われ、エマニュエル・マクロン大統領も出席した。一方で、その直前には、同事件で唯一生き残った実行犯の元交際相手が、暴力を計画した疑いで逮捕されており、聖戦主義者(ジハーディスト)の脅威がなお続いていることも示されている。 逮捕されたのは、イスラム教に改宗した27歳のフランス人女性で、名前は「マエヴァ・B」と発表された。マエヴァ・Bは、2022年に有罪判決を受け、現在はベルギー国境近くの刑務所で終身刑に服しているサラ・アブデスラム受刑者(36)と文通するようになった。 その後、この刑務所の刑務官が、アブデスラム受刑者が聖戦主義の宣伝資料を含むUSBキーを使用していたことを発見。マエヴァ・Bとの面会時に入手していたと突き止めたという。 捜査当局はマエヴァ・Bのコンピューターと携帯電話を調べ、彼女が聖戦主義の攻撃を計画していた可能性を示す証拠を発見した。マエヴァ・Bは10日、共犯とされる2人と共に司法捜査下に置かれた。 フランスが同国の現代史上最悪の攻撃から10年を追悼する中、この逮捕は、決して消えなかった敵への警戒を強める結果となった。 ローラン・ヌネズ内相は、今年はすでに6件の計画が阻止されており、脅威レベルは依然として高い状態にあると述べている。 マクロン大統領は記念庭園の開園式で、「残念ながら、攻撃の終息を保証できる者はいない」と語った。 「しかし、フランスに対して武器を取る者に対しては、我々は妥協なく対応すると保証できる」 2015年11月13日に発生したパリ連続襲撃事件では、武装組織「イスラム国(IS)」が犯行声明を出した。実行犯らは市内各地で一連の協調攻撃を実行し、最終的にパリ東部のバタクラン・コンサートホールでの血なまぐさい襲撃に至った。 事件ではまず、サッカーの国際試合が行われていたスタッド・ド・フランスの外で、実行犯3人が自爆攻撃を行った。続いて、同グループの別のメンバーらが、バタクラン・コンサートホール近くのバーやカフェにいた人々に向けて銃を乱射した。 同ホールではその夜、米カリフォルニアのバンド「イーグルス・オブ・デス・メタル」の公演が始まったばかりだった。3人の実行犯はホールに押し入ると、観客席に無差別に発砲した。この3人は人質を取り、警察が突入すると自爆した。 一連の襲撃で合わせて130人が殺され、そのうち90人がバタクランで命を奪われた。さらに400人以上が病院で治療を受けた。そして、数え切れないほど多くの人々が、心理的なトラウマに苦しんだ。 「バタクラン」という言葉はその後、フランスで過激なイスラム原理主義攻撃の代名詞となり、アメリカにおける「9/11」と同じような意味を持つようになった。 その後も、2016年7月の仏南部ニースでのトラック突入事件や、2020年10月にパリ近郊で教師サミュエル・パティ氏が首を切断されて殺害された事件など、過激主義的な攻撃は続いたが、2015年11月13日の攻撃は規模と組織性で際立っている。 ■10年前と現在で変わった脅威 一方、それから10年が経過した現在、多くのことが変わった。シリアとイラクでISが主要な勢力として消滅したことで、複雑なテロ計画を構想し、計画し、実行するための手段は大幅に減少している。 バタクランの実行犯は、主に北アフリカ出身の若い男性で、ベルギーとフランスでISに勧誘され、中東のIS支配地域で訓練を受けた後、多数の移民の流れに紛れてヨーロッパに戻った。 彼らは至る所で、宿泊施設や移動手段、現金を提供する支援者ネットワークを頼ることができた。 しかし、フランスにおける著名な中東専門家ジル・ケペル氏によると、情報機関は現在、インターネットを通じた過激化の抑制において、非常に効果を上げているという。 「当局は今ではIT資源にアクセスできるため(中略)多くの個人的な企てを検知できる。それぞれの計画はあまり洗練されていないが(中略)実行される前に阻止できる」と、ケペル氏は仏紙ル・フィガロのインタビューで語った。 一方で、現在の危険は「環境的な聖戦主義」と呼ぶものから来ていると同氏は言う。 「現在の脅威は国内で生まれ、より若い世代に広がっている。それは、命令を出し、従う人々が必ずしも存在しなくても、同じ考えを持つ者同士の友情やソーシャルネットワークに依存して成り立っている」 こうした脅威は非常に浸透しやすいため、特に懸念となっているとケペル氏は述べている。パレスチナ・ガザ地区とイスラエルでの出来事が、多くの市民の心に「トラウマ的な影響」を与え、それが「怒りをあおる人々に利用されている」という。 さらに、フランスの現在の政治危機も危険をあおっていると、ケペル氏は指摘。力の無い大統領が、左右両極の過激派が影響力を強める議会に押されていると述べた。 「もし、フランス人として私たちを結びつけるものよりも、分断するものが重要になり、国家的合意が崩れるなら、私たちの足元には深い亀裂が生じ、暴力はますます抑制を失うだろう」 13日の追悼式典は、各攻撃現場で一日を通して行われ、最後にパリ中心部に新設された「11月13日庭園」の開園で締めくくられた。 夜には、エッフェル塔がフランス国旗の赤、白、青の色にライトアップされた。 フランスのメディアは、生存者が自らの生活の変化を語る証言や記憶であふれている。 予想外の展開として、アブデスラム受刑者は弁護士を通じて「修復的司法」に向けた取り組みに協力する用意があると伝えた。この手続きは、被害者と加害者が犯罪の影響について話し合う場を設けるものだ。 この考えは一部の遺族から提案されたものだが、強く反対する遺族もいる。 バタクラン襲撃の数カ前に風刺週刊紙「シャルリ・エブド」の編集部などが襲撃された事件で負傷した、「リス」の名でも知られる画家のローラン・スリソー氏は、アブデスラム受刑者の申し出は「倒錯している」と語った。 「修復的司法は他の種類の犯罪、つまり一般犯罪に存在するものだ」とスリソー氏は述べた。 「しかし、テロは一般犯罪ではない。サラ・アブデスラムは、自分の犯罪が他と同じだと思わせようとしている。しかし、それは違う」 2015年1月に起きたシャルリ・エブドの事件では、預言者ムハンマドの風刺画を掲載した同紙の事務所やユダヤ系食料品店が相次いで襲撃され、合わせて17人が殺された。パリの裁判所は2020年12月、事件に関わったとされるジハーディスト14人に、禁錮4年〜終身刑の有罪判決を言い渡している。 (英語記事 France remembers Bataclan attacks but knows enemy has not gone away)

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