“東京五輪直後”の日本で起こった《歴史的裁判》、トランスジェンダー女性を正面から見つめる『ブルーボーイ事件』はいかにして生まれたか?

この秋公開される『ブルーボーイ事件』を見て、初めて知る事件の衝撃とともに、この映画が作られ公開されることに大きな希望を感じた。かつて実際に起きた「ブルーボーイ事件」を題材にした本作は、日本においてトランスジェンダー女性たちがどのような道のりを歩んできたのか、社会は彼女たちにどんな視線を向けてきたのかを、正面から見つめ、今を生きる私たちに大きな問いを突き付ける。 映画は、1965年、性別適合手術(当時の呼称は性転換手術)を行った医師が逮捕され裁判にかけられた事件に着想を得て作られた。検察の目的は、手術を受けたトランスジェンダー女性たち、通称「ブルーボーイ」たちを売春の場から一掃することだった。そうして性別適合手術の違法性を争う前代未聞の裁判に、手術を受けた女性たちが証人として出廷する。 監督は、『フタリノセカイ』(22)、『世界は僕らに気づかない』(23)など、現代社会で生きる人々の姿を独自の視点で描いてきた新鋭・飯塚花笑監督。トランスジェンダー男性であることを公言し活動を続ける飯塚監督は、大学時代に製作した初長編『僕らの未来』(11)から一貫してマイノリティの存在を描き、彼/彼女たちの声を社会に届け続けてきた。社会の中に埋もれがちな小さな声を拾い上げ、その姿を描くとはどういうことなのか。そのデビュー作から最新作『ブルーボーイ事件』までの道のりをたどりながら、飯塚花笑監督の思う、映画と人々、そして社会との関係性についてお話をうかがった。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加