【座間9人殺害・白石元死刑囚の刑執行】最後までブレなかった自己中心さ…本誌記者が見たその“素顔”

2025年『FRIDAYデジタル』が報じてきた数々の事件の中から、とくに選りすぐってお届けする【2025年凶悪&重大事件ワイド】。今回紹介するのは『座間9人殺害犯の死刑執行』だ。6月28日に配信した過去に『FRIDAYデジタル』で報じた白石隆浩元死刑囚へのインタビューに新たな内容を加えて紹介する。 ◆何を聞いても「カネ次第」 6月27日、’17年に神奈川県座間市のアパートで9人を殺害したとして、強盗・強制性交殺人罪などで死刑が確定していた白石隆浩元死刑囚(当時34)の刑が執行された。 事件は’17年10月30日に発覚した。神奈川県座間市のアパートで9名のバラバラ遺体が発見されたのだ。犯人は部屋に住んでいた白石で翌日に逮捕された(以下、文中では「元死刑囚」の呼称を省略しています)。 「白石は自殺願望のある女性を自宅に誘い込み、殺害して遺体を徹底的に損壊しようと犯行を重ねました。当初は『ヒモになりたい』という願望があったようです。しかし、最初の被害者を失神させて性交した際に、通常の性行為では得られない快感を得られた体験から、殺害して金品を奪うことが目的となっていきました。‘17年8月から10月の間に8人の女性と、被害者の知人男性1人を手にかけています」(全国紙社会部記者) 白石は’20年12月15日に死刑判決を言い渡された。弁護側は控訴したが、彼自ら控訴を取り下げ、’21年1月15日に死刑が確定している。 『FRIDAY』は逮捕から約1年後の’18年9月21日に白石と接見した。そのときの彼の様子は当時の記事から引用すると、以下のようなものだった(《》内は過去記事より引用)。 《午前10時20分頃、勾留先である高尾警察署(八王子市)の面会室に現れた白石は、事件当時とは変わり果ててた姿だった。上下ともに無地でグレーのスウェット姿に、四角い黒縁メガネ。ボサボサの髪は肩まで届くほど長く、痩せこけた頬やアゴに無精髭をはやしている。 彼はなぜ本誌の取材に応じたのか。無表情で記者に一礼して着席した白石にまずはそれを聞いた。 「週刊誌の人なら、やっぱりコレ(カネのジェスチャー)を出してくれるんじゃないかなと思って……。以前手紙や雑誌の差し入れをくれた講談社の人に会おうと思って指名しました」》 だが、本誌記者が質問をすると「(指で丸を作りながら)コレ次第。おカネさえくれれば、何でも話します」と言ったきり押し黙ってしまい、何を聞いても「カネ次第」と答えるのみだった。 ◆差し入れでテンションが上がった白石 なぜカネに固執するのか。本誌は白石の本意を探るべく、接見後に上限額である3万円を差し入れた。すると、最初の接見から4日後、再び接見に応じた彼は前回とは打って変わった様子で、「3万円が入ってきて、かなりテンションが上がりました」と、笑みを浮かべながら語り始めたのだった。 《「400円で唐揚げ弁当を買いました。正直、おカネを持っていると、拘置所に行った時の生活が全然違うんですよ。拘置所には売店があってチョコパイ、板チョコ、アンパン、クリームパンがあります。おカネがないと本当に辛いと中の人からも教えてもらったので、出来るだけ蓄えて拘置所に行きたい。 定期的に現金を差し入れてもらえるなら、これからは手紙も書きます。フライデーさん宛てだけじゃなく、僕の両親に向けての(懺悔の)手紙も書きますよ。値段は宛先によって変えますが」》 記者の目をみつめながら白石はペラペラとしゃべり続けたという。 この当時は裁判が始まるのはまだ先の話だったが、彼が起こした前代未聞の凶悪犯罪は極刑をまぬがれないだろう。人生に心残りはないのだろうか。 《「やっぱり、もっと美味いものが食べたかった。好きだった『蒙古タンメン中本』のラーメンとか……。あとは女遊びももっとしたかったなって。本当に普通のことですけどね」》 その言葉に事件への反省や被害者への謝罪はかけらもなかった。カネをせびるのも、勾留中の食生活という楽しみを充実させたいから。どこまでも自己中心的で目先の快楽しか考えていなかったのだ。 ◆「実は弁護士と揉めているんです」 また、本誌はこの1年後の’19年10月にも白石に接見し、インタビューしている。このときは最初に殺害したA子さんへの犯行について赤裸々に語っていた。 《「実は、最初に殺したA子さんだけは可哀想だったなあと思っています。出会ってから殺害するまでの約10日間、彼女は食事をおごってくれたり、ホテル代を出してくれたり、たくさん尽くしてくれましたから。どうせなら殺さずに、ヒモとしてお金をせびり続ければよかった。 A子さんを殺したのは8月23日。殺すことを考え始めたのは8月18日でした。知り合ってから彼女がけっこうな額の貯金をしていることを知り、僕はそのカネがどうしても欲しくなった。それで、『カネが無いから不動産屋の審査が通らない』と彼女に話し、約50万円を借りたんです。おかげでアパートの審査は通ったんですが、やはり、借りた50万円は返したくないと思った。それが8月18日の話。どうすれば返さずに済むかと考えた結果、彼女を殺すことにしたんです」》 この当時もまだ裁判は始まっておらず、公判前整理手続きの段階。裁判で何を主張するかについて記者が質問すると彼の表情は曇り、「初めて言うのですが、実は弁護士と揉めているんです」と打ち明けはじめた。この時点で白石はすでに一度、弁護人を解任していた。罪を認めていた彼に対して黙秘を指示する国選弁護人との間で、意見が衝突していたためだ。ところが、新しく選任された弁護人にも不満があったようだ。 《「新しい弁護人には事の経緯を説明して、『僕は死刑を受け入れることに決めた。だから余計なことはしないでくれ』と伝えました。彼らも了承してくれた。ところがですよ! 今年の7月、彼らがいきなり『強制性交・殺人・強盗』の罪に関して、僕の同意なく勝手に罪を軽くするための準備を始めたんです。この裏切りには、正直すごくムカついてます」》 このときの「余計なことはしないでくれ」という言葉通り、白石は’20年12月15日に下された死刑判決に対し、弁護側が判決を不服として控訴するとこれを取り下げた。 死刑への覚悟を語っていた白石元死刑囚だが、けっして自身の罪を反省して償うためではなかったと思われる。彼は公判でA子さんら一部の被害者には謝罪の言葉を述べたものの、他の被害者に対しては「印象が薄い」「とくに何も思うことはない」と語っていたからだ。さらに逮捕のきっかけとなった警察への通報をした被害者遺族に対しては「今も恨んでいる」などと発言していた。 ◆日弁連の声明を代理人弁護士が批判 白石の死刑執行が報じられると、日弁連は《死刑執行に対し強く抗議し、直ちに全ての死刑執行を停止し、世界的な廃止の流れに沿った死刑制度廃止の実現を求める会長声明》を出し、遺憾の意を表明した。 これは死刑制度に反対する日弁連や各地の弁護士会が、死刑が執行されるたびに出す“定番”とでもいうべきものだが、これに対して白石の事件で遺族の代理人をつとめた弁護士らは、会見を開いて異例の批判を行った。 柴田崇弁護士は会見で「遺族の気持ちを考えて苦しんで出しているならまだいいが、そうは受け取れない」と述べた。あたかも白石の刑執行そのものに抗議していると被害者遺族らが受け止めてしまうことで、その感情を逆なでするような声明に対して苦言を呈したのだ。 一方、約3年ぶりに執行された死刑のタイミングについて、政治的な理由があると指摘する声もあがった。’24年10月には死刑囚だった袴田巌さんの無罪が確定したことで死刑制度を見直そうという気運が高まっていた。そんな背景もあって、死刑制度を揺るがせないために3年以上の死刑空白期間を作りたくないとの政権の意図があったのではないかというのだ。 だが、おそらく最後まで自己中心的だった白石からすれば、こんな騒ぎは関係のないことなのだろう。

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