ブラジル日系社会=『百年の水流』(再改定版)=外山脩=(316)

六八年、イビウーナで、全国学生連盟が秘密集会を行い、多数の参加者が逮捕された。 その中には日系人の名前も幾人かあった。 翌年、治安当局は、追跡中の三〇人をテロ分子として、顔写真入りのポスターで公開、情報提供を一般に呼びかけた。 その中には、吉永マサフミ、藤森ヨシタネという日系人も含まれていた、 同年、サンパウロ市内を走行中の車両が爆発、運転していた日系の学生(サンパウロ大学)が即死した。警察は、その学生はテロ分子で、積載していた爆発物が、何かの原因で破裂した、と発表した。 その時、筆者はサンパウロ近郊にあるその学生の家を、取材に訪れた。父親が応じてくれたが、信じられない表情で、 「息子は、中身が何かを知らず、誰かから預かった荷物を載せていただけではないのだろうか?」 と首を傾げていた。 息子が、警察の言う様な活動をしていることなど、全く知らず信じられなかったという。 その父親が住んでいる家は驚くほど質素だった。職業は日本語学校の教師だという。日本語教師はひどく安月給であった。 息子を育て大学まで行かせるについては、ひとかたならぬ苦労をした筈である。 その息子が、こういう最期を遂げてしまっては…と、筆者は言葉を失った。 記憶に残っている事件 右の日系学生の件以外にも、六〇年代末の数年間には、筆者の記憶に残っている事件が、幾つかあった。 「料亭赤坂・南銀宮坂脅迫事件」もその一つである。 赤坂と宮坂国人に同時に脅迫状が送りつけられたのである。相当額の現金を要求していた。 赤坂の場合、脅迫犯二人が、最初、強盗として侵入した。が、大した金が無かったため、脅迫した。ついでに宮坂も…。 その時、赤坂の女主人からサンパウロ新聞の水本社長へ相談があった。筆者が事情を聴きに行った。未だ警察に被害届を出していないというので、出す様に勧めた。 強盗や脅迫の事実を紙面に出すのは、新聞社の配慮で伏せられた。 脅迫犯が指定した現金を渡す日が来た。 水本社長が記者の一人に赤坂に護衛に行く様指示した。拳銃を取り出して窓の外に向けて一発撃ち、 「よし、これを持って行け」 と渡した。 筆者は、脅迫犯が要求した現金を渡す場所の近くに、カメラマンと行き、車の中で待機した。夜だった。 以後の展開はあっけなかった。 その場所に現れた脅迫犯の二人が、そこに居った人間に、 「金は何処にある」 と訊いて、逮捕されたのである。そこに居った人間は刑事だった。 すぐ署に連行され、取り調べを受けた。 筆者たちも、その署に移動、取り調べが終わるのを待った。 二人はすべてをアッサリ吐いてしまった。彼らは兄弟だった。ただ手下で、主犯は別に居た。義兄だった。 刑事たちが、その主犯を逮捕に向かった。 やがて、両手に手錠をかけられた主犯がやってきた。足元がもつれていた。 驚いたことに我々がよく知っている人物だった。 サンパウロ新聞の元記者で、この時は下っ端の刑事をしていた。一緒に酒を呑んだこともあった、 彼は逮捕された時、刑事から威嚇射撃を頬スレスレにされた、と手の指をそこに持って行き、恨みごとを言っていた。 事件は、これで決着、南銀宮坂の方は、何事もなかった。 ただ、こんな小話があった。 脅迫状を受け取った時、宮坂は部屋から出て来て、 「こんなものが来たヨ」 と笑いながら秘書に渡したそうである。 銀行では直ちに警察に連絡をとった。 警察は、銀行や宮坂の自宅に刑事を配置した。 その自宅に護衛に行った刑事が、呆れていた。 「銀行のジレトールが、ガラージの上で暮らしている。立派な母屋があるのに!」 と…。 宮坂は女婿の家に同居していたが、何故か庭の車庫の上につくった部屋で暮していたのである。 それを聞いて、筆者は(流石、拓殖事業家の宮坂さん、質素に生活している。昔の移民の労苦を偲んでいるのだろう)と、感激したものである。 が、ずっと後年、女婿氏との雑談の中で、そのことが話題になり、馬鹿馬鹿しい勘違いをしていたことが判った。 氏はクスクス笑いながら、こう打ち明けたのである。 「なに、ありゃ…爺さん(宮坂)には、昔から付き合って居た女性がいて、その人から時々電話がかかってくる。 が、家族の誰かが受話器をとったり、爺さんが電話で話しているのを聞いてしまったりする。それを爺さんが嫌がっていたので、あの部屋を私がつくってあげた。電話付きでネ…」 相手は、非日系の女性であったという。 ちなみに、この女婿の実父が、本稿の初めの方の章で何度か登場した怪人物山県勇三郎である。

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