熊本県で起きた殺人事件を巡り、ハンセン病患者とされた男性が隔離先の「特別法廷」で死刑判決を受けて1962年に執行された「菊池事件」の第4次再審請求審で、熊本地裁(中田幹人裁判長)は28日、やり直しの裁判(再審)を認めない決定を出した。 国立ハンセン病療養所「菊池恵楓(けいふう)園」(熊本県合志(こうし)市)の入所者自治会会長代行、太田明さん(82)は「患者に向けられた差別に打ち勝つ」との思いで「菊池事件」の再審請求を支援してきた。 8歳の頃にハンセン病となり、同園に入所。高校時代に岡山県瀬戸内市の国立療養所「長島愛生園」に移り、東京の私立大などを経て商社に勤めた。 だが、20代で病気が再発し、再び恵楓園に。人生の大半を療養所内で過ごし「家族や親族との関係が希薄になった」と語る。 ◇忘れられない出来事 長期化を余儀なくされた恵楓園での暮らしの中で、忘れられない出来事がある。最初の入所から3カ月後の1952年6月、園の大人たちが「犯人が逃げた」と声を上げ、部屋の床下などを捜し回った。 後に「菊池事件」で死刑判決を受けることになる男性が園内の拘置所から脱走していた。男性は翌7月、住んでいた村の元職員を刺殺した容疑で逮捕された。 「当時はとにかく怖くて、男性を犯人と思い込んだ」と太田さん。男性が世間の目から閉ざされた特別法廷で死刑判決を受けたことを知ったのは約30年後だった。 男性は無実を訴えていたが、弁護人は十分な弁護活動をしていなかったとの記録も残っていた。 「公権力によって殺されたようなものだ」。国による強制隔離政策の当事者として人ごととは思えなかった。 ◇患者を地域から排除 1907年に始まった国の隔離政策は96年に「らい予防法」が廃止されるまで約90年続いた。 官民一体で地域の患者を根こそぎ療養所に収容する「無らい県運動」が全国で展開され、患者は地域から排除された。 「男性は隔離政策の最大の犠牲者だ」と太田さんは言う。 講演などでハンセン病に対する差別の歴史を伝え続ける傍ら「公正公平な当たり前の裁判をしてほしい」と菊池事件の再審を求める署名活動にも参加してきた。 再審を求める署名は累計で約7万筆に達した。「菊池事件の解決なくしてハンセン病問題は終わらない。法曹界全体の責任で公明公正な裁判をやり直すべきだ」と太田さんは強調する。【野呂賢治】