前編「ヘビ女優”の異名を持つ36歳女が愛人を殺害!? 出演映画の公開直前に起こした姫路・広峰山「ドライブ怪死」事件とは?」の続き ■現役俳優による例外的な殺人事件 戦後の日本で、エンターテインメント界やプロスポーツ界に籍をおいた人物が、殺人事件の犯人として逮捕され有罪判決を受けた例は極めて少ない。その少ない事例も、犯人がすでに第一線を離れていたり、引退していたりするケースばかりであり、ほとんどが男性である。しかし、ここに紹介する事件の犯人は、犯行直後に新作映画の公開が控える、女性の俳優だったのである。 ■8年の不倫関係と非嫡出子 1969年12月14日夕方、兵庫県姫路市で、停止した乗用車の外で腹部を刃物のようなもので刺された男性が倒れているのが見つかり、同乗していた女性が通行人に助けを求めた。搬送先で死亡した男性は旅館経営者のTさん(40歳)で、同乗者は大映専属俳優のIM(36)だった。 事件直後、Tさんには妻と子どもがいた一方で、IMとは8年程前から親しい関係にあったと報じられた。IMが36歳だったことを踏まえると、関係は28歳前後から続いていた計算になる。そればかりではない。IMは2〜3歳になる非嫡出子を育てるシングルマザーだったのである。しかし、Tさんはその子どもを認知していなかったようだ。新聞では、「2人の仲は以前から知っていた」とのTさんの父親のコメントが紹介されている。その時代は、価値観もジェンダー感も今とは大いに異なる。結婚や家族のあり方について、男女ともに固定観念が強く、同調圧力も強かった。そんな時代に、不倫関係を継続しながら妊娠・出産も経験した8年間は、IMにとってどれほど重い時間だったのだろうか。 ■嘘発見器検査を経て取り調べは深夜まで 救急車が現場に到着した時点で、血まみれのTさんには意識があり、搬送された際に「自分で刺した」と伝えている。一方、IMは「ドライブ中、後部座席でウトウトと眠っていたが、気がつくとドアが開く音がして、Tさんがうずくまっていた」と話したと報道されている。しかし、警察はそれを真に受けなかった。というのも、刃物が発見されなかったこと、また車内のルームミラーが壊れていたことなど、不審な点が複数あったからだ。 事件の翌朝から始まった事情聴取では、状況から、IMは最重要容疑者に準じる扱いを受けたと考えられる。しかし、IMは自分が刺したことは否定し続けた。また、〝あやまって刃物が刺さってしまった〟といった主張もしていたという。しかし、苦しい供述であった。警察も「それなら仕方ない」とする類いのものではない。IMはまた「ポリグラフ」──いわゆる嘘発見器の検査も進んで受けた。俳優であるIMが、あくまで「不慮の事故」という形を崩さずに通そうとしていたのだ。警察の取り調べの運用もいまほど透明ではなく、供述に寄せた捜査が強く、長時間の聴取も“普通のやり方”として通った時代でもある。IMの聴取は朝から12時間に及ぶ長丁場となった。 そして、23時を過ぎた頃、IMは泣き崩れ、根負けしたように犯行を自供した。Tさんに別れ話を翻意してもらおうとドライブに誘ったが、どうしても別れたいというので、リクライニングシートに寝たTさんの腹部を包丁で刺したという。もはや確認のすべはないが、亡くなる直前のTさんが「自分で刺した」と証言したのは、IMへの最後の愛情表現とも受け取れる。 IMの殺人容疑での逮捕は、同年7月の市川雷蔵(いちかわらいぞう)の夭逝(ようせい)に続く、大映にとってのネガティブなニュースだった。 ■新作映画は事件6日後に公開でヒット 1969年のIMは、『眠狂四郎』シリーズに市川雷蔵が主演した最後の作品『眠狂四郎悪女狩り』など6本の映画に出演していた。そして、事件から6日後の12月20日、新作映画『秘録怪猫伝』の公開が決まっていた。本郷功次郎が主演したこの作品でIMが演じたのは、〝化け猫が乗り移る人物〟だった。こうした非日常性を表現する役はIMにとって十八番だといえる。 当時のコンプライアンス意識は今とは違う。大映は松方弘樹に主演が代わった『眠狂四郎 卍斬り』の併映として予定通りに『秘録怪猫伝』を公開した。そして、劇場には興味本位の観客が殺到したといわれている。 ■判決と仮釈放、そして消息不明へ 翌年2月、IMの初公判があり、「殺すつもりはなかった」と殺意を否定。同年7月、神戸地裁は求刑どおり懲役7年を言い渡した。裁判の過程で、大映社長の永田雅一、共演者の勝新太郎らは減刑嘆願書を提出したと報道された。同年9月、控訴審があり、大阪高裁にて裁判長が「同情の余地がある」「子供も小さいので長い刑期は適切ではない」とし、懲役5年の判決を言い渡した。収監されたIMは模範囚で、3年で仮釈放されたとされる。 だが、IMが犯行に及び、収監された時期は、テレビの普及もあり、日本映画界の斜陽化がいよいよ深刻になっていた時期と重なる。彼女が塀の外に出た時点で、大映はすでに倒産していた。その後、芸能界に戻ることはなく、消息も聞かれなくなった。IMは今、生きていれば92歳であるが、生死は公になっていない。