滋賀県日野町で1984年、酒店経営の女性が殺害された「日野町事件」で、強盗殺人罪で無期懲役が確定し、服役中に75歳で病死した阪原弘(ひろむ)さんの再審請求審で、再審開始を認めた最高裁決定が2月25日、遺族の元に届いた。逮捕からおよそ38年、周りは味方になってくれる人ばかりではなかった。だが、長男の弘次さん(64)は弘さんの無罪を信じることから一度も逃げることはなかった。3月18日は弘さんの命日。亡くなってから15年となる。【菊池真由】 女性は1984年12月に行方不明になり、翌月に同町で遺体で見つかった。弘次さんは弘さんと母つや子さん、2人の妹と5人で日野町で暮らしていた。弘次さんは、町内の放送で女性が行方不明になったことを知り、「どこに行ってしまったんだろう」と心配はしたが、普段通りの変わらない日々を過ごしていた。 妹2人が結婚するなど穏やかな暮らしが一転したのは88年3月。自白が決め手となり、弘さんが強盗殺人容疑で逮捕された。 しかし、弘さんのことを疑う家族は誰一人いなかった。「背中を丸めて生きるとか、人目を気にして生きる必要はない。堂々と生きていこう」。当時26歳だった弘次さんは、つや子さんとそう誓った。 だが、ある日、弘次さんが帰宅するとつや子さんが真っ暗な部屋でぼーっとした表情を浮かべて座っていた。弘次さんが「どうしたんや」と聞くと「また電話が掛かってきたんだ」と答えた。弘さんが逮捕されて以降、いたずら電話や無言電話が繰り返し掛かってきていた。 「そんな母親はもう見ていられない」。彦根市内に住む妹の新居に一時身を寄せ、同市内に中古の家を買ってつや子さんと住んだ。日野町の家は親戚に譲った。 弘次さんも結婚した。「事情を説明したら反対されるかもしれない」。そんな不安はあったが妻の家族は理解してくれた。弘さんが肺炎になり刑務所から病院に移った後は、仕事を休み、病院に通い詰めた。2011年に亡くなるまで家族で交代しながら24時間看病した。 弘次さんは長年勤める彦根市のバス会社にも弘さんの事情を伝えていた。「父親のことを隠して生活をしようと思っていませんでした。(それを言って)クビにするならクビにせえと思っていた」と振り返る。 弘さんの遺志を継いだ弘次さんら家族の執念が、死刑や無期懲役事件としては戦後初めてとなる「死後再審」をたぐり寄せた。弘次さんは「大津地裁の再審開始決定の時も大阪高裁の棄却決定の時もうれしかったが、今回は泣けてきた。いままでの長い苦労が報われたんだ」と検察の特別抗告を棄却する決定書をしみじみと見つめた。