政調会長の打診、2度断る マージャン中に亀井さんが「テレビで大臣留任と出ていたぞ」 話の肖像画 元衆院議員・平沼赳夫<16>

《平成12年4月1日、小渕恵三首相と自由党の小沢一郎党首による会談が行われ、自由党の連立政権離脱が決定。直後、小渕首相は倒れて緊急入院した》 小渕総理が倒れた翌2日、青木幹雄官房長官の呼びかけで、(自民党の)森喜朗幹事長と亀井静香政調会長、村上正邦参院議員会長、野中広務幹事長代理がひそかに集まりました。「小渕入院」が公表になる前に、後に「5人組」と呼ばれる人たちが森さんを後継にしたのです。 その日は日曜。僕はゴルフの最中でした。亀井さんから電話があり、「森を総理にするんだが、どうだ」。小渕さんが倒れたことに驚きましたが、「いいんじゃないか」と答えました。 亀井さんは森政権でも政調会長を続け、国の重要政策を主導していました。まさに「飛ぶ鳥を落とす勢い」でした。 《同年7月、第2次森内閣が発足。通産相に》 前月に衆院選があり、自民党は議席を減らし、志帥会も与謝野馨さんらが落選しました。村上さんは特定の団体から多額の資金提供を受けていた問題で影響力を失っていきます。翌年1月の中央省庁再編で僕が初代経済産業大臣に就任する頃には、政権は死に体の状況。3月に村上さんが逮捕されました。 《同月、内閣支持率が低迷する森首相は事実上の退陣を表明。自民党は総裁選に》 志帥会から会長代行の亀井さんが立候補しました。総裁選に出たのはほかに元総理の橋本龍太郎さん、麻生太郎さん、そして小泉純一郎さん。永田町では「橋本優勢」といわれていましたが、「自民党をぶっ壊す」と訴えた小泉さんが国民から熱狂的な支持を集めました。 《総裁選は、亀井氏が本選への出馬を辞退。小泉氏が地方票を多く集めて勝利した》 志帥会の中にも一部の若手議員らが小泉陣営と政策協定を結び、「平成の薩長連合だ」などと大喜び。僕は最後まで戦うべきだと思いましたが…。 総裁選が終わった4月24日の午後9時ごろ、議員宿舎にいた僕に電話がかかってきました。 「小泉です。政調会長を引き受けてもらいたい」

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